歴史の一頁;国王政権の果たした最後の役割
(last modified Mon, 08 Feb 2021 14:31:00 GMT )
2月 08, 2021 23:31 Asia/Tokyo
  • 国王政権の果たした最後の役割
    国王政権の果たした最後の役割

42年前のイラン暦1357年バフマン月21日(西暦1979年2月10日)、国王政権の将軍たちが、テヘランにおける戒厳令の期間を延長しました。

将軍たちはこの措置によって、国王軍により攻撃を受けている革命に連帯した空軍の職員を助けようとする人々の勢力を阻止して、さらにホメイニー師や革命に影響力を持つ人々をまとめて逮捕、もしくは暗殺したいと考えていました。しかしイスラム革命の偉大な指導者は、明敏で臨機応変な対応をとり、人々に対して戒厳令を無視するように求めました。革命に参加する人々も、ホメイニー師の命令を聞いて街頭へあふれ出し、衝突の裾野はさらに広がりを見せ、テヘランや他の都市にある、腐敗した国王政権の各軍事的中心地にまで及びました。軍人たちも、人々に対峙する心の準備ができておらず、そのうちの多くの者が革命に加わりました。

一方、状況をコントロールできなくなっていた国王政権のシャープール・バフティヤール首相は、政権と違法な政府を引き続き存続させるための最後の努力を行いました。同首相は、恐怖を巻き起こしていた王国の情報機関「SAVAK(サヴァク)」の解散と、国庫からの横領を行っていた大臣らの断罪のための法案を上院に提出し、恐怖政治の存在と国王政権における大規模な腐敗を間接的に告白しました。

 

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