視点
イスラム革命勝利記念日
イラン暦バフマン月22日は、西暦の2月10日または11日にあたり、イラン国民による歴史上の最大の出来事が起こった日です。1979年2月11日、イランイスラム革命は、今は亡きホメイニー師の指導により勝利の栄冠に輝きました。
イスラム革命の勝利により、イラン国民は覇権主義勢力による卑劣な支配や、破壊的な従属状態から解放され、独立と威信、あらゆる分野での進歩発展という軌道に乗ったのです。
この革命はまた、世界で暴虐を受け抑圧されている諸国民に大きな影響を及ぼし、イスラムの覚醒に向けた大きな変化を起こすとともに、地域における米国とシオニスト政権イスラエルに対する抵抗戦線の形成につながりました。
現在のイランイスラム革命最高指導者のハーメネイー師は、アメリカがイランのイスラム体制に敵対している主な理由として、イランがアメリカの圧政的な政策に屈せず、アメリカの覇権を正式に認めていないことを挙げています。また、「この敵対行為は今後も続くだろう。それを解消する唯一の方法は、相手側がイランの政府と国民に決定的な打撃を与えるという望みを捨てることである」と語っています。
さらに、イランの威信あふれる力強い歩みは今後も続くことを強調し、「覇権主義者らは、イランがいわゆる彼らの言うところの通常の国、すなわち覇権主義体制の政策に同調した国になることを望んでいる。だが、イスラム共和制はその発足当初から覇権主義体制に反対してきており、今後とも理不尽な国には絶対に屈せず、これまでどおり革命的精神、覇権主義者への抵抗の道を継続するだろう」と述べました。

40年以上の間、イラン国民の敵は可能な限りの選択肢を駆使して、この革命を打ち負かそうとしましたが、それはことごとく失敗しました。それは、陰謀と圧力に直面してもイラン国民が決して脆弱化、疲弊することなく、後退しなかったことによります。
イラン国民の敵は、最大限の圧力とテロによりイランの革命と体制に打撃を与え、イラン国民を革命の理想から乖離させよう、という妄想にかられていました。しかし、イランは孤立や無力化などとは無縁であるのみならず、今や西アジアにおけるイランの強力な存在感や、覇権主義体制に対する国民の抵抗は、同国の揺ぎないい尊厳と威信の具現の1つと化しています。今日、イランはあらゆる分野で発展し、強大化しており、これほどの脅迫や制裁をものともせず、依然として圧力に耐え、脅威を機会に転換させているのです。