オマル・ハイヤームとは?
(last modified Tue, 17 May 2022 13:56:00 GMT )
May 17, 2022 22:56 Asia/Tokyo

オマル・ハイヤーム(1048~1131)は、現在のイラン北東部ネイシャープールの町に生まれた、セルジューク朝時代のイランの詩人であり、かつ数学者、哲学者としても知られています。

彼は、本名をアブー・ハフス・ウマル・イブン・イブラーヒーム・ハイヤーミー・ニーシャーブーリーといい、「ハイヤーム」はペルシャ語で「天幕造り」意味していますが、これはハイヤームの父親の職業が天幕造りであったことによるものです。

彼は幼少期を当時のイランの北東部ホラーサーン地方、現在のトルクメニスタンにあるメルヴの町で過ごし、その地で学び、また当時にあってもっとも著名な学匠の一人であったシャイフ・ムハンマド・マンスーリーに師事しました。そして、青年時代にはホラーサーン地方における当代きっての師の一人と見なされていたニーシャープールのイマーム・ムワッファクのもとで研究活動に従事しています。

まず何よりも、ハイヤームは偉大な詩人として世界的な名声を得ています。特にその美しい四行詩集は「ルバイヤート」として知られ、1859年にイギリスのエドワード・フィッツジェラルドによって英語に翻訳されたことから、その翻訳者とともに世界的な名声を博すことになりました。なお、この作品はそのほかにもフランス語、ドイツ語、ロシア語、イタリア語などに翻訳されており、日本語訳では特に蒲原有明による英訳からの重訳、さらには小川亮作氏のものが有名です。なお、19世紀のアメリカの詩人、ジェイムズ・ラッセル・ローウェルは、ハイヤームの四行詩を、「思想によるペルシャ湾の真珠」 としています。

ハイヤームは多くの四行詩の中で、常に過去と現在、未来の間で議論を行っています。彼はこの内容を語る為に、「つぼ」や「土」というたとえを用いて、なる こと、かつてそうだったこと、死ぬことのの3つの重要な原理を示しています。彼は、このような現世の はかなさや無常観の強調により、永遠の存在である神が唯一の真理であることを証明しています。

ハイヤームによれば、人生において重要なのは、四行詩の中でまったく否定していない神の存在や、愛、喜びであり、一方でこれは制約がないことや、享楽的で あることを意味しません。むしろ、ハイヤームは、この世に生きている今、このつかの間の人生の恩恵を享受するべきで一瞬たりとも無駄にすべきではないとし ているのです。苦しみにまみれた人生や現世のはかなさについて考えることにより、賢明な人々は、現世や現在に注意を向けること以外に、方法がないのです。ハイヤームは、人間の多くの苦しみは、欲や帰属意識によるものだとしています。彼は、正しく認識し、人生の小さなものやつまらないものへのとらわれを解放する可能性を人間に与える思想を伝えています。ハイヤームの簡潔な言葉と深い思想は、長年を経ても耳にすることができ、またそれを聞いたものをひきつけています。ハイヤームの四行詩は探究心ある人々の心を反映しており、独特の世界観を持っています。

さらに、ハイヤームは大詩人であると同時に、11世紀から12世紀のイランの有能な哲学者、数学者、天文学者、作家でもありました。数学分野では三次方程式の解放を編み出したほか、天文学分野ではセルジューク朝為政者マリク・シャーの招聘により、現在のイランの北東、トルクメニスタンにあるメルヴの天文台で暦法改正にたずさわり、現在のイラン太陽暦の元となるジャラーリー暦を作成しています。この暦では33年に8回の閏年が計算され、グレゴリウス暦よりも正確なものとされています。

歴史家や研究者は、ハイヤームは賢者であり、その賢明さのすべては、ハイヤームのわずかな詩の中に見ることができるとしています。現在も彼の学説は、研究対象となり、また数学者に利用 されており、天文学における彼の成果は、天文学者にも認められています。彼は物言わぬ思想家や詩人の声を代弁しているとも言え、一部の研究者は、今日、ハイヤームを歴史上の 人物のみならず、彼を文学における流派の創始者とすべきだと考えています。ハイヤームは、その明晰な思想によって答えのない多くの問いの中に深く入り込んだ学者だったともいえるでしょう。

ハイヤームはすべての時代の、すべての場所にいる人間が抱く多くの問いを、詩の中で提示し、その多くに答えを出しています。ハイヤームは短いながらも非常 の内容の濃い四行詩の中で、さまざまな時代における、人間を惑わす、すべての重要な問題や哲学的に不明な点、解決のできなかった秘密を提示しています。彼は、無味乾燥な哲学的言葉を避け、美しい詩を選び、心の中の傷や痛みを詩で表現しました。

ハイヤームはそのほかの思想家と同じように、当時の思想に影響を受け、それらに対する反応を示しています。人生のはかなさ、このとき、この場で機会を得ることの強調、疑いと驚き、死と死後の生、酩酊などは、ハイヤームの四 行詩における最も重要な内容の一部です。これらのテーマは、ハイヤームの思想体系の中心事項となっています。原則的に、ハイヤームがとらわれていた苦しみとは、すべての人間、特に知識階級が苦しんでいたものです。しかし、彼をこのような思想における唯一の存在にしたのは、彼の詩のテーマではなく、この内容を如何に語るか、 ということであり、これは彼が卓越し、名声を得た要因です。

ハイヤームは、常に現世の重要な問題について考えていました。ハイヤームは精神的な苦しみに向かい合っていますが、この苦しみや圧迫感は哲学的 な言葉や学術的な言葉で説明できるものではありません。彼はこの重くのしかかる秘密を、読者に伝える言葉を欲していました。つまり、詩の言葉や、推測が可 能な四行詩という形式から、助けを得ています。はじめに彼は理性的な探求に助けを借りようとしますが、その荒れ狂う感情により、内面で感じたものを四行詩 として表現しています。

こうして一生涯にわたり、様々な分野で優れた業績を残し、イランのレオナルド・ダビンチとも称されたハイヤームは、1131年に生まれ故郷のネイシャーブールにて一生を終えました。彼の墓廟は現在、イラン北東部ホラーサーン・ラザヴィー州に属するこの町の郊外にあります・

例年では西暦の5月18日ごろに当たるイラン暦オルディベヘシュト月28日は、オマル・ハイヤームの日とされ、例年はこの大詩人の出身地であるネイシャーブールでは、特別な行事が催されます。

ハイヤームの墓廟

 

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