8月 06, 2023 22:05 Asia/Tokyo
  • 県被団協事務局長
    県被団協事務局長

広島県原爆被害者団体協議会(県被団協)の大越和郎事務局長が、ロシア・スプートニク通信のインタビューに応じ、被爆直後の様子を語りました。

当時5歳だった大越さんは、1945年8月6日の出来事について、「爆心地から10キロくらい離れた田舎にいたが、閃光と爆風がそこまでも届いた。晴れた空が一気に曇って、いわゆる有名な黒い雨が40分くらいザーッと降って、その雨で川の魚が死んで浮いていたのを目撃した」「午後はかなりの被災者が車に乗せられて、私の小さい村にも300人ほど収容された。その人たちがどんどん亡くなるので、連日、臨時の火葬場で火葬が進められた」と語りました。

また、若い世代へのメッセージとして、「核兵器禁止条約が本当に実効力のあるものにするために、各国が批准すると同時に、それを担保するような国際的な枠組みが必要。また、政治家や一般市民の努力がこれからも必要になってくる」と語りました。

 


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