7月 31, 2024 19:52 Asia/Tokyo
  • ハマスのイスマーイール・ハニヤ政治局長
    ハマスのイスマーイール・ハニヤ政治局長

ハマスのイスマーイール・ハニヤ政治局長が31日未明、テヘラン市内の滞在先でテロに遭い、殉教しました。

【ParsToday西アジア】ハニヤ氏は30日夕方に行われたイランのペゼシュキヤーン新大統領の就任宣誓式に出席するため、テヘランを訪れていました。その後、滞在先に向かい、翌午前2時ごろ、テロにより暗殺されました。

ハニヤ氏は抵抗勢力の中でも人望の厚い司令官で、昨年10月のハマスによる「アクサーの嵐」作戦以降、その存在は世界中に広く知れ渡るようになりました。一方で、シオニスト政権イスラエルはハニヤ氏をテロリストに指定し、以前からその殺害を狙っていました。

この記事では、ハニヤ氏の生涯を振り返ります。

 

生誕

ハニヤ氏の正式本名は「イスマーイール・アブドルサラーム・アフマド・ハニヤ」といいます。「アブルアブド」(アブドの父)という通称でも知られていました。1963年、ガザ地区のシャーティー難民キャンプで誕生。一家は難民となる前は、現在のイスラエル占領地であるアシュケロンで生活していました。

 

幼少・若年期

ハニヤ氏はシャーティー難民キャンプにあったUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)運営の小・中学校に通い、高校課程はガザにあるアズハル宗教学校で修了しました。1981年にガザ・イスラム大学に入学し、同大のイスラム協会に加入します。その後、1983~84年まで同大学生評議会議員、85年から86年にかけて同議会議長を務め、アラビア文学の学士課程を修了し、卒業しました。

 

投獄とレバノン追放

ハニヤ氏が大学を卒業したのは、第1次インティファーダが起きていた頃でした。ハニヤ氏自身もインティファーダに参加し、イスラエルの裁判所の判決により投獄されました。3年間の服役を経て1989年に釈放されました。1992年、イスラエル政府はハニヤ氏とアブドゥルアズィーズ・ランティースィー氏、マフムード・ザハール氏といったハマスの初期幹部や400人の上級メンバーをレバノンに追放しました。

追放されたメンバーはレバノン南部に1年ほど滞在。この間、世界中のメディアから取材攻勢を受け、ハマスの知名度が一気に高まることになります。

ハニヤ氏はその後ガザに戻り、出身大学のガザ・イスラム大学学長に就任します。1997年にはハマス事務局長に就任。そして2006年のパレスチナ議会選挙でハマスを勝利に導き、首相に就任しました。

今年4月には、イスラエル軍による攻撃で3人の息子と孫を失っていました。

 

発言録

・イスラエルを正式に承認することは決して、決してない

・私はパレスチナの首相として、ハマスの一員であることを誇りに思う

・(2020年に米軍により暗殺されたイラン革命防衛隊の)ソレイマーニー司令官はゴッズ(=聖地ベイトルモガッダス・エルサレム)の殉教者だった。ソレイマーニー氏がたどった道はパレスチナ解放まで続く

・アクサーの嵐作戦は聖地解放の希望をよみがえらせた

・イランはパレスチナ国民とその理想を支持する最前線にいる

 

 

ハニヤ氏とその姉

 

ハマス創設者の故アフマド・ヤースィーン氏(右)と

 

パレスチナ・イスラム聖戦運動のナハレ事務局長(左)と

 

パレスチナ市民と交流するハニヤ氏

 

レバノン・ヒズボッラーのナスロッラー事務局長(中央左)と

 

イラン最高指導者ハーメネイー師と

 

イラン前大統領の故ライースィー氏と

 

イラン前外相の故アミールアブドッラーヒヤーン氏と

 

ハマス幹部ヤヒヤー・シンワール氏(左)と

 

ハマス幹部の故サーレハ・アールーリー氏と
演説するハニヤ氏

 

パレスチナ・イスラム聖戦運動のナハレ事務局長(左端)と

 

ハニヤ氏と妻

 

暗殺前日の30日、イランのペゼシュキヤーン新大統領(右)と会談したハニヤ氏

 

 


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