May 08, 2024 15:08 Asia/Tokyo
  • 右からダラス米国務長官、イーデン英外相、ビドー仏外相
    右からダラス米国務長官、イーデン英外相、ビドー仏外相

1954年4月30日、NSC・米国家安全保障会議は、当時フランスとベトナムとの間で続いていたインドシナ戦争に関して、フランスに複数の核爆弾を提供する必要があり得ると結論づけました。

フランスは、植民地支配下に置いていたベトナムとの戦争で苦境に陥り、米国に支援を求めていました。

アメリカは1950年から主に兵站面でフランスを支援していました。航空機や戦車、輸送車両、弾薬を提供し、フランス軍の多くの作戦についても助言・監督を提供していました。

 

インドシナ戦争

 

1954年までにフランスがこの戦争に投じた費用のうち、8割近くをアメリカが負担していました。

ベトナム側の根強い反植民地闘争に直面したフランスは、アメリカに再三にわたって支援を要請しました。

1954年3月20日、米軍は200機以上のB29爆撃機や戦闘機でベトナムを攻撃しました。

後に判明した驚くべき事実は、この作戦で核爆弾3発の使用が検討されていたことです。

当時のビドー仏外相は、1954年4月22日の会談でダラス米国務長官から、インドシナ戦争終結のため核爆弾の使用を提案されたと回想しています。

一方のダラス氏はこれを否定しましたが、ホワイトハウス内で核の使用が検討されていたことは揺るぎない事実です。

同年4月29日、米NSCは4時間にわたり議論を行い、翌30日、「フランスに複数の核爆弾を提供することがあり得る」との結論に至りました。しかし、当時のアイゼンハワー大統領は議会の承認なしにインドシナ戦争に直接介入することを拒みました。

しかし、5月になるとフランスの敗北が決定的となり、核爆弾提供の提供も立ち消えになりました。アメリカは方針を変え、ベトナムに対する自らの軍事力を引き上げることに注力しますが、それはベトナム戦争への突入と敗北につながっていくのです。

 

 

 


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