勝利の意味を変えて戦争を終結させない、米政府・軍と軍事企業
アメリカのベトナム戦争介入中、当時のヘンリー・キッシンジャー政府報道官は、「慣習的な意味では、軍隊は戦争に勝った時にのみ勝者となる。それ以外の場合は、常に敗者となる。しかし、パルチザンはその逆で、戦争を放棄した時にのみ敗者となり、それ以外の場合は常に勝者である」と述べました。
このキッシンジャー氏の発言は、南ベトナム解放民族戦線(通称:ベトコン)に対し米軍が八方塞がりであることを匂わせており、現在振り返れば、彼らの勝利を暗示したものでした。しかし今日、この経験をもとにパルチザンのように行動しているのは、米軍の側です。
ベトナム戦争から数十年を経た現在、この戦争の間「ベトナムのパルチザンの裏をかく」ことに失敗してきたアメリカ国防総省は、これを解決する簡単な方法を編み出しました。それは、非常に静かに、誰にも気付かれることなく、自軍の勝利の定義をパルチザンにとっての勝利の定義と同じものに置き換えて、「戦争は戦いを放棄した時のみに負けたことになる」と信じこむことでした。
この解釈によって、米軍の司令官たちは、基準も終わりも存在しない戦争を自身の裁量で開始することが許されるようになり、議会による監視や制限の実施からも大幅に守られることになりました。
しかし国防総省は、このような敗戦防止の強力なメカニズムがあったにもかかわらず、2021年に再びアフガニスタン戦争で敗者となりました。それは、相手側のタリバンがパルチザン的戦闘において米軍を大きく上回っていたためでした。同省はそのためにアフガニスタン戦争を、ベトナム、ラオス、カンボジアでのような第二次世界大戦後の壊滅的敗北の長いリストに、そして、グレナダやパナマでのような辛勝のリストに加えざるを得ませんでした。
しかし、国防総省はその間にも、国民や議会の監視の目をかいくぐりながら、非公式もしくは裏で糸を引いた形で別の戦争を続けていました。
その例としては、勃発から10年目を迎えたシリア戦争や、1990年、あるいは2003年、あるいは2014年から現在まで続くアメリカのイラク介入、また、アメリカがアフリカのソマリアおよびサヘル地域で起こし、この20年間続いている紛争などが挙げられます。アメリカはこの他にも、25年前の1999年、NATO・北大西洋条約機構の他の加盟国とともにセルビアを爆撃してコソボ紛争に本格的に介入しました。そしてアメリカは現在も、コソボに駐留するNATO加盟国を主体としたKFOR・コソボ治安維持部隊に多数の自国兵士を派遣し続けています。
また、朝鮮半島では現在、約3万人の米軍兵士が駐留していますが、それは、アメリカが介入した朝鮮戦争が1953年に休戦となったものの、韓国と北朝鮮がその後一度も平和条約署名に至っていないためです。
一方のアフガニスタンでは、2021年に敗北した米軍が同国から撤退したものの、それで終わりとはならず、バイデン大統領は2022年、地平線の彼方から戦争を仕掛け、テロ組織アルカイダの指導者であるアイマン・ザワヒリ容疑者を米軍無人機で攻撃して殺害しました。
国防総省が戦場でパルチザンを出し抜くことは不可能かもしれません。しかし、アメリカ政府およびその他の場所で行われている、負けながらも戦争を終わらせないというスタイルは、戦火を緩やかながらも常に途切れることなく保ち、国防総省の予算を、少なくするどころか継続的に増大させています。この策略は、驚くべきものだと言えます。
このように、上記のような戦争におけるアメリカの敗北は、同国の政府高官と軍上層部、産業界における彼らの協力者、そしてそれに追従する一団にとっては、特別な勝利であったのです。