視点
豪によるベトナムでの戦争犯罪
1973年のパリ和平協定によるオーストラリアのベトナム撤退から50周年を迎える中、豪軍がこの戦争中に行った犯罪が忘れ去られようとしています。
オーストラリア軍の兵士は、20世紀で最も凄惨な犯罪が行われた現場の1つであるベトナム戦争において、テロリストたる米軍の兵士とともに、数え切れないほどの犯罪を重ねました。
オーストラリアでは今年、ベトナムからの軍撤退50周年にあわせて、国内各地で追悼式典が行われました。
そのうちの一つ、クイーンズランド州イプスウィッチでの式典に出席した同国のアルバニージー首相は、当時従軍していた退役軍人および同戦争での負傷兵に対して、謝罪の意を示しながら、「あなた方は、我が国の名を守った。あなた方は、受け取ったものよりもはるかに価値ある方々だ」と述べました。
ベトナム戦争は実際、世界で覇権を確保しようとアメリカが第二次世界大戦後の数十年間に行っていた帝国主義的企みが、最も血なまぐさい形で現れたものでした。
当時の冷戦という枠内でアメリカが行ったこのような行動には、韓国、ベトナム、中南米といった歴史的に抑圧されてきた国々で起こした一連のクーデターや凄惨な戦争、そして解放・独立を目指す運動への鎮圧作戦も含まれています。
アメリカは1950年代初頭、ベトナムの内政に介入し、南ベトナム解放民族戦線に対抗するためとして数千人の「軍事顧問」を同国へ派遣しましたが、オーストラリアも、メンジーズ首相の率いる当時の保守政権がこのアメリカの挑発的行為を全面的に支持し、1962年にはベトナム戦争に参加するため「軍事顧問」の派遣を始めました。
ベトナム戦争でのオーストラリア軍の行為については、2020年に発表されたアフガニスタンでの戦争犯罪に関する「ブレレトン報告書」でも、他の戦争で行われた戦争犯罪の経歴として強調されていました。