6月 07, 2022 20:15 Asia/Tokyo
  • アルジェリア人大量虐殺
    アルジェリア人大量虐殺

フランスのオンライン誌が、1961年に起きた同国警察によるアルジェリア人虐殺についての新たな機密情報を暴露しました。

フランスのオンライン誌「Mediapart」は、同国のシャルル・ド・ゴール元大統領が、1961年10月17日にアルジェリア人らがフランス警察に殺害されことについて知っていたものの、パポン・パリ警察署長および各関係閣僚をその地位に留めて処罰しなかったことを、記事の中で暴露しました。

アルジェリア問題でド・ゴール氏の顧問役を務めたベルナール・トリコ氏は、同年10月28日に当時大統領だった同氏へ書付を送り、パリ警察による暴力的措置でアルジェリア人54人が殺されたと見られることを知らせていました。

この記事によれば、書付には「(警察は)犠牲者の一部を(セーヌ川に投げ込んで)溺死させ、また一部を絞殺し、残りは銃撃で殺害した。司法捜査が始められており、残念ながら最終的に一部の警官の起訴につながる可能性がある」と説明されていたいうことです。

アルジェリアは、フランスから132年間にわたり植民地支配を受けていました。

アルジェリア独立戦争は1954年から1962年まで続き、その中で150万人以上が亡くなったほか、独立派に対しては厳しい弾圧が加えられました。

フランス軍は1945年5月8日にも、アルジェリアの首都アルジェにおいて同国の大勢の人々を非情な方法で虐殺しています。公式統計によれば、母国の独立を求める4万5000人のアルジェリア人が、これらの虐殺で命を落としています。

アルジェリアは2021年10月以来、フランスとの外交危機に直面しており、自国の駐仏大使も呼び戻しています。これは、フランスのマクロン大統領がアルジェリアの歴史について「事実に基づかずフランスを憎む論文に基づいて書き換えられている」と発言したことを受けて取られた措置でした。

 


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