韓国ドラマ・イカゲーム;暴力表現に慣れることの危険性
「暴力シーン」はホームドラマシリーズの視聴者を惹きつける手段になっており、暴力シーンが多いほど、暴力的な人物はより魅力的となり、そのシリーズ番組の視聴回数が増えるようです。
その一方で、現実の社会ではこれほどまでの憎悪や暴力事件は存在しません。
ホームドラマのテーマは極めて多種多様であり、テレビや映画のプロとしての要素のほとんどが制作に使用されてきましたが、それらすべてに共通するものがほぼ1つあります。それは「暴力」であり、ほとんどの場合、年齢制限の警告なしに露骨な形で視聴者に表示されています。
人々が最近、なぜ以前よりも暴力を求めるようになったのか、という問いは世界のいずれの場所においても見られるものです。例えば、ネットフリックスで配信されている韓国のサバイバルドラマシリーズ「イカゲーム」は、世界を沸かせ大ヒットし、膨大な収益を挙げている作品ではあるものの、暴力シーンが非常に多く見られ大きく批判されています。
「イカゲーム」は韓国のテレビドラマシリーズで、米の動画配信サービス・ネットフリックスにより放映され、瞬く間に世界で最も視聴者数の多いテレビドラマシリーズにのし上がりました。
このシリーズのあらすじは、1970年代から80年代にかけて韓国で流行った「イカゲーム」と呼ばれる子どもの遊びが由来となっており、多額の借金を抱えたプレイヤーたちが456億ウォン(約45億円)の賞金を手に入れるため、命を賭けて子供の遊びを行います。これは、生き残ると45億円がもらえ、脱落者はその場で殺されるというもので、456人が、忌まわしい結果をもたらすこの子どもの遊びに参加者として誘われます。
このテレビドラマシリーズは、暴力的・残虐で暗澹たる内容となっており、そのストーリーは、貧しい人々が文字通り生と死のゲームで生き残るために競争するというもので、これらは全て他ならぬ、富裕者の娯楽のため、ということになります。
ここに出てくる子どもの遊びは極めて象徴的なものです。というのは、それらは子ども時代から生死をかけた競争が始まることを示しているからです。実際、ここで扱われる子どもの遊びは、大人の世界や生活の実態を見事に示唆しています。このテレビドラマは、私たちの実生活が、生き残りをかけた一連の残酷なゲームのようなものであることを物語っています。このゲームの場は社会のうちの社会の縮図のように見え、ゲームをする際には参加者は人間性を失い、さまざまな場面で動物的な本能を露呈することがほとんどです。生き残るためには、他人を騙して裏切る必要があり、その意味で、すべての遊びやゲームは実社会で容易に実感できる問題を反映していると言えます。
「イカゲーム」がテレビドラマシリーズとして大成功を収め、またプロの優れた作品であることは否めませんが、しかし、視聴者らはこの連続ドラマの視聴後、自分たちが精神的な悪影響を受けていることに気づきます。恐ろしいゲームで競争に勝ち金銭を稼ぎたい、というこのドラマの登場人物らの強い願望は、視聴者の精神状態に悪影響を及ぼしています。
複数の研究調査から、「イカの悪夢」または「イカゲームの悪夢」というキーワードでのGoogleのオンライン検索件数は、この番組の放映開始後に46倍増加したことが分かっています。多くのユーザーはまた、ドラマ「イカゲーム」は自分がこれまでに見た中で最も動揺をさそう厄介なシリーズであると述べており、その理由として多くの視聴者が視聴後に悪夢にうなされたことが指摘できます。特に一日の最後の数時間、すなわち就寝前のこのドラマの視聴により、視聴者らに深刻な精神的悪影響を引き起こしたことから、メディアにおける暴力の扱いや暴力シーンの放映についての議論が再び提起されました。
暴力には多層的で幅広い概念があり、様々な定義や語用があげられ、さまざまな側面から検討することができます。しかし、メディアにおいては、暴力とは画面で見る画像(テレビ、さらにはタブレットや携帯電話、映画などのホームシアター)、物語中のセリフや耳に入ってくる文言を含むもので、それらは攻撃的な行動、他者への強要、暴力による論理的あるいは非論理的な意図や目的の追求、異常で不快なあらゆる言動、特定の意思から生じる暴力行為、1人または複数名に危害を加える身体的・物理的な力の行使という形で具現され、視聴者に興奮や恐怖感、緊張を抱かせることになります。暴力という概念は、実在のものとメディアや映画、連続ドラマシリーズ、アニメーションに出てくる架空のものの2つの形式に分けられます。この種の暴力的な番組はフィクションであり、実際の社会的ドキュメンタリーやニュース報道とは異なるものの、視聴者に影響を与えます。
これまでに行われた調査研究のほぼすべてから、暴力的な内容の番組が影響力を持つことの真実性が証明されています。特にフィクションの暴力的な内容に関する5000件以上のフィールド調査により、そうした番組が影響力を持つことが証明されています。もっとも、暴力的な場面が蔓延し、日々市民にもそうした行動が見られる社会では、メディアによるそのような番組が視聴者に及ぼす影響はより大きく、また自ら攻撃・暴力的で異常な行動をとる人々にとっては、テレビ番組で暴力的な場面を視聴することは、自らの行動傾向をさらに助長するものとなります。言い換えれば、これらの番組はその種の視聴者集団に対し、必要な際には暴力を行使するよう教え込み、怒りに任せた行動に走るよう扇動しているようなものです。
映画や連続もののテレビ番組は、一般大衆が余暇を楽しみ、教養を得られるように制作されていますが、残念ながら、世界の一部の映画製作者はそれらを暴力助長のための媒体に変えています。複数の報告によれば、映画全体の90%、ビデオゲームの68%、テレビ番組の60%、音楽ビデオの15%が暴力的な内容だとされています。一部の事例においては、その割合はさらに高まり、特に映画における暴力の度合いは過去50年間で着実に上昇しています。
多くの人はテレビに出てくる暴力シーンを決して快く思っていませんが、否応なしにそれらを視聴している形となっています。実際に、暴力的な内容の映画やテレビ番組は、若者、特に男子にとって魅力的で惹きつけられるものです。一部の学説理論によりますと、暴力的なドラマは人を精神的に消耗させる可能性があります。そうした番組の視聴者はそこに出てくる登場人物に共感を覚え、その結果、その人は行動により欲求不満を解消することになります。しかし、心理学的な学説では、社会に適切な環境が整っている場合、死や拷問などを軽く扱う暴力的な映画や番組が放映されると、暴力の増加、さらには暴力的な行動の模倣や変容につながると考えられています。
一部の連続テレビドラマは、死や殺人を笑いの種、軽い話題として扱っており、そうした番組では拷問や人質事件などは大衆的で重要性のないものとして捉えられています。このことから、暴力的な内容の番組や映画が犯罪を増やすことは十分予想されます。専門家の見解では、銃による殺人未遂、連続殺人、人質事件の多くはテレビ番組の暴力シーンの模倣による現象であると考えられています。
現代の子どもたちは、テレビなどの従来の電子機器のほか、ノートパソコンやタブレットなどの携帯用電子機器を介してメディアにアクセスできます。そうしたアクセスが増えると、子供たちは暴力的な内容に触れることになります。調査によると、子供を対象としたメディアの37%には、身体的および言葉による暴力シーンが含まれているということです。
残念ながら、今や日常の娯楽においては暴力的な状況は極めて一般的であり、子供向けの映画やビデオゲームには攻撃的な行為が存在しています。こうした内容に触れた子供たちは、暴力を誤って捉え、それが正常なものだと考える可能性があります。それは、子どもが暴力を通常行為だと考えるようになってしまった場合、そうした思考を変えさせることは困難だからです。これはまさに、暴力にさらされている子供たちの多くが暴力をふるう側あるいは受ける側になるという家庭内暴力に関する研究結果と類似しています。なぜなら自分たちが置かれている状況は普通のことだと信じているからです。
児童青少年の危険行為には他者に対する暴力や、その結果の無視が含まれる可能性があります。不適切な思考は子供にストレスを与え、またそれは多くの異なる症状を引き起こす可能性があります。メディアにの中の暴力を目にした子供は、かなり高い確率で敵対的な感情を抱く可能性があります。暴力的な内容の映画・番組に対する感情的な反応は模倣によるものであり、テレビ番組で見たものを模倣する行為は自分自身や他の人を傷つけることになります。
子どもに与えるこれらの影響のうち、最も重大なものとして睡眠障害や精神かく乱、特に家族や友達と接している時、特に遊んでいる時の怒りっぽい行動が指摘できます。このことから、バーチャル空間やテレビ、映画、ビデオゲームなどで暴力シーンに触れることの多い子どもは、実生活でも高い確率で侵略・攻撃的な思考や行動、怒りっぽい行動を示すことが多くなっているのです。