イマームレザーの人生の教え
今日、イラン北東部マシュハドにあるシーア派8代目イマーム、レザーの聖廟は、特別な雰囲気に包まれています。この偉大なイマームの殉教日に際し、様々な国籍や文化をもつ数十万人の巡礼者がこの聖なる地に集まり、預言者とその一門に愛情と忠誠を示しています。
コーランを朗誦する声や祈祷があちこちから聞こえてきます。この巡礼者の集団は、涙で心の錆をそぎ落とし、この聖なる廟で、精神に活力を与えようとやってきた人々です。人々の心は悲しみにあふれていますが、この聖廟にいることの喜びは表現できないほどのものです。今日は、預言者一門を愛する人々にとって、その理念に再び忠誠を誓う機会です。この番組ではイマームレザーの生涯についてお話しすることにいたしましょう。
ある家に、イマームレザーの明かりが灯されました。その一家の父は、神の僕、預言者の一門であるイマームカーゼムでした。母はマグレブ出身の高貴な家の出で、賢く貞節な女性でした。レザーは、称号であり、満足を意味します。
イマームレザーの子、イマームジャヴァードは、父がレザーという称号で呼ばれたことについて、このように語っています。
エコー「神は彼にレザーという称号を与えた。なぜなら天の神、地上の預言者とイマームは彼に満足していたからである。このように、彼の善良な性質により、友人も近親者も敵も彼に満足していた」
イマームレザーは、預言者の一門であり、イマームの地位において、コーランやその一門の教えを人々に伝えていました。イマームレザーの知識、忍耐、勇気、礼拝、信仰は、まさに天からの恩寵と言うべきで、その時代において、彼が学術的にも、精神的にも優れていることは疑いのないものでした。
イマームレザーの時代、イスラム世界は地理的にも経済的にも学術的にも大きな発展を遂げていました。こうした中、アッバース朝の独裁も続いていました。
イマームレザーの時代は、ハールーン、アミーン、マームーンという3人のアッバース朝カリフの統治時代にあたり、イマームレザーの最後の5年は、アッバース朝のカリフの中でもずる賢いカリフ、マームーンの時代でした。マームーンは兄弟のアミーンを殺して権力の座に着き、自分の大臣を使って、政府の足固めをしようとしました。こうした中、マームーンはイマームレザーに皇太子になるよう提案し、預言者一門の支持者たちを味方につけ、自らの政府を合法なものに見せようとしました。マームーンは自分が誠実で、イマームレザーの地位を信じているかのように装いました。
マームーンはアッバース朝の支持者たちからの抗議に対して、彼の目的を話しました。「この男は私たちに隠れて色々やっている。人々に自分の地位を支持するよう呼びかけている。このため彼を皇太子にすることで、人々に我々を支持させ、我々の統治に抗議させないようにするのだ。そして彼の支持者もまた、彼ではなく我々がこの統治にふさわしいことを知るだろう」
マームーンの考えは、もしイマームが皇太子になることを受け入れれば、必ず、アッバース朝の統治の合法性を受け入れるだろう、というものでした。さらに、マームーンは、イマームの地位は彼の皇太子受け入れにより、低下するだろうとも考えていました。表面上は彼の策略は完全なものに思えました。さて、イマームレザーはこの陰謀に対してどのような反応を示したのでしょうか。
イマームレザーの最初の反応は、マームーンの中央政府のあるマルヴに行くことを拒否したことでした。マームーンはイマームを無理やりマルヴにこさせようとしました。学者が執筆したイマームレザーに関する書籍にはこのように書かれています。
「イマームは預言者に別れを告げるために彼の聖廟に入った。聖廟から出ては戻り、大きな声を上げて泣いた。その後家族を集めて彼らに別れを告げ、言った。『私はもう二度とあなた方のもとには戻らないだろう』」
イマームが家族を誰一人として連れて行かなかったことは、この他の重要な点です。イマームをよく知っている人、とくにイマームと直接関係を持っていたシーア派教徒たちはイマームが無理やりこの旅に出るのだということを悟りました。
次にイマームは、彼を皇太子に選んだマームーンの行動を、実際に預言者一門の統治の正当性を認識させるための行動として示そうとしました。というのも、そのときまで、アッバース朝やウマイヤ朝のカリフは、イマームたちの統治を認めてこなかったからです。マームーンの行動は以前のカリフの見解が誤っていたことをよく示していました。
イマームレザーはまた、皇太子になる前に、皇太子の地位を受け入れた場合、政治への介入は一切しないこと、誰かを任命したり罷免したりしないこと、方策に変更を加えないこと、助言のみ行うことを条件にしました。言い換えればイマームはマームーンの政府に一切干渉しないことで、人々にアッバース朝カリフを認めていると思わせないようにしたのでした。
マームーンはイマームレザーがマルヴにやってくると、様々な学者が参加する学術集会を開きました。この集会をマームーンが開催した目的は、学問支持をアピールすることでした。彼はこの集会にイマームを参加させることで、彼の知力をコントロールしようとしました。しかしイマームの知力の高さは次第にマームーンに問題を生じさせました。
マームーンはこのような集会はイマームの学術的地位の高さを明らかにするだけだと気付くと、脅威を感じ、イマームにそれまで以上に制限をかけるようになりました。
マームーンの陰謀を暴いたもう一つの出来事に、イマームレザーが断食明けの祝祭の礼拝を行ったことがあります。マームーンはイマームに祝祭の礼拝を行うよう求めました、イマームは受け入れませんでしたが、マームーンが強要するので、「では私の先祖である預言者と同じように祈りましょう」と言いました。マームーンもこれを受け入れました。
人々はイマームがカリフと同じように宮廷の慣習に従って家から出てくるのだと思っていましたが、彼は裸足で、神は偉大なりと唱えながら道を歩いていきました。正式な服装でこの儀式に備えていた首長たちは、この場面を見ると、一斉に馬から降り、靴を脱いで、イマームに倣って彼の後についていきました。
ある人がマームーンに言いました。「もしイマームレザーがこのまま集団礼拝所につけば、人々は彼を慕うことになるだろう。彼を戻した方がよい」
そこでマームーンは使いを送り、イマームに戻るよう求めました。彼は人々のイマームへの支持が日を追うごとに高まっていることを悟りました。この出来事から感じた危機感により、マームーンは、イマームの存在が彼にとって痛みをいやすどころか、状況は厳しくなるばかりだと考えました。これにより彼に対する反乱を起こさせないように、イマームの行動を見張らせ、報告させました。
イマームレザーは、マームーンの前でも、正しいと思ったことは恐れずに言いました。多くの事柄において、はっきりとマームーンの行動を批判していました。彼が非イスラム諸国への軍事侵攻に没頭しているときなども、彼にこのように言いました。「なぜムハンマドの共同体のことを考えず、その改革を行わないのだ?」。こうした指摘により、マームーンを怒らせ、イマームへの敵意は高まりました。こうしてマームーンは、イマームをマルヴに呼んだことで、良い結果は得られず、こうしたことが続けば、彼にとって取り返しのつかない事態を招く恐れがあることを悟りました。
自らのカリフの地位を維持するために他者を殺すことも厭わなかったマームーンは、今回もそのために神の預言者の清らかな子孫を手にかけました。こうしてイマームレザーはその偉大な祖先たちと同じように正義の道、圧制との戦いにおいて殉教したのでした。しかし彼はマームーンの独裁政府に協力するという屈辱は決して受け入れなかったのです。