イスラム革命の重鎮を失って
(last modified Wed, 11 Jan 2017 07:28:37 GMT )
1月 11, 2017 16:28 Asia/Tokyo
  • イスラム革命の重鎮を失って

イラン公益評議会議長のラフサンジャーニー師が、革命の道における闘争とイラン国民への奉仕の生涯を終え、8日日曜、心臓発作で死去しました。82歳でした。

8日日曜夜のハーシェミーラフサンジャーニー師の逝去の知らせは、イラン国民のみならず、この闘争家を知る多くの人物に大きな衝撃を与えました。

ラフサンジャーニー師は、イラン社会の中から立ち上がり、その生涯は自らが望んでいたように、覇権主義に対する闘争を伴っていました。彼の人生の解釈により、その精神的な努力は革命的な動機を伴うものとなり、これにより、その名前は、イスラム革命の牽引者の一人として知られるようになりました。イランイスラム革命最高指導者のハーメネイー師は、ラフサンジャーニー師について、彼と協力した全ての人、とくに自分にとって確かな拠り所だと評しています。

1979年のイランイスラム革命の勝利により、ラフサンジャーニー師は、イランイラク戦争の聖なる防衛において重大な責務を負い、イラン国会議長や大統領、専門家会議の議長を務め、輝かしい経歴を残しました。ラフサンジャーニー師は1989年から1997年まで、2期8年、大統領をつとめました。

ラフサンジャーニー師は、金曜礼拝の導師のみならず、国会議長や専門家会議議長の時代にも、常にイスラムの統一を強化し、亀裂や敵対を解消するよう努力していました。

また彼は、政治家であると同時に、経済分野においても力を発揮しました。時代のニーズを把握し、政治、社会、経済、文化の問題に介入する必要性が感じられるたびに、全力でその問題に取り組み、社会における団結と革命の支えを維持し、価値観を永続させようとしました。一部の人は、イスラムの原則にダメージを与えるため、吹き込みと扇動行為により、2009年の国内の暴動において生じた問題を利用しようとしました。しかしながら、ラフサンジャーニー師の革命の経験と洞察力、適した判断により、逸脱の流れはイランの体制の根幹に影響を及ぼすことはできませんでした。

ラフサンジャーニー師の発言や記述、国際会議への積極的な参加は、イスラム世界における対立の発生源をしっかり認識しており、地域におけるアメリカやイギリスの全ての陰謀に気づいており、イランイラク戦争から現在までの外国の介入と敵対によって、アフガニスタンやイラクなど、地域の多くの国が戦争や困難を強いられ、イスラム教徒が互いに対立することになったことを知っていたことを示すものです。

世界の大国による覇権の否定とイスラムの団結の強調は、ラフサンジャーニー師の発言のキーポイントです。

ラフサンジャーニー師は、様々なイスラム団結会議において、現在の問題を提起し、団結を実行に移そうと努めました。ラフサンジャーニー師は、イスラム世界にとって好ましい戦略は、すべての世界との平和的な関係を築き、協議の道に戻ることだと考え、常にイスラムの居マージを壊すために西側で行われている努力には目的があると警告を発していました。

ラフサンジャーニー師はまた、話し合いで物事を決めるということを広めた人でもありました。彼はイスラム世界の一部政治家の保守派層とは異なり、「もし対立がこれほどまでに拡大するなら、もはやイスラム教徒の団結の状況は整わない」とはっきりと述べました。彼は思想と行動において、覇権主義の流れに立ち向かい、何度となく、「覇権主義者は覇権という手段を整えるために、イスラム教徒の間に対話や議論の雰囲気を生じさせないようにしている」と述べていました。

ラフサンジャーニー師は、アメリカと覇権主義大国の政策を強く非難し、この革命的な動きにおいて、虐げられたパレスチナ人の権利を守ることに一瞬たりとも躊躇しませんでした。彼は常に、イスラエルの政権を問題に直面させ、何の恐れもなさずにはっきりと、「イスラエルは他国の廃墟の上に築かれ、数百人の人々の住む家を奪っている」と表明していました。

ラフサンジャーニー師は、イスラム世界の可能性を信じ、「イスラム世界は16億人の人口を擁し、世界の人口の4分の1を占め、世界の生産のおよそ20%を担っており、最高の戦略的、地政学的な地位において、人間を作る包括的な教義のもとで生活している。このイスラム世界が国際分野に存在するのはふさわしいことだ」と強く信じていました。

彼は「もしイスラム世界の名の下、国際分野に存在する大国がより統一され連帯し、同胞の憲章に基づいて、重大な局面に参加するなら、宗教や教義の点から類稀な集団を形成し、敵に対抗しないで、自分自身だけについて考えることはできない」と述べています。

このため、ラフサンジャーニー師は、世界の覇権主義国がイスラム教徒の間に亀裂や分離を生じさせているとし、植民地主義者に、分裂によってイスラム世界を非イスラム教徒の大国に依存させる機会を与えるべきではない、と警告を発していました。

現在、この偉大な経歴を持つ闘争家はこの世を去りましたが、未来の人々のモデル、貴重な遺産として、イラン国民に努力の成果を残しているのです。