イマーム・レザーと生活様式(5)「簡素な暮らし」
人間というのは常にぜいたくな生活と質素な生活のどちらを取ろうかと心が揺れ動き、往々にしてそのどちらかに偏ってしまいがちなものです。
つまりぜいたくで華美な生活に偏ってしまうか、逆に、なりふり構わない世捨て人のような生活に陥ってしまいがちですが、イスラム特にシーア派ではそのどちらも間違った行いだとされています。
これはイスラムにおいて非常に大きな問題として取り扱われています。この番組では、この問題を、シーア派8代目イマームであり、預言者(神が彼と彼の一族を祝福し平安を与え給えますように)の聖なるひ孫であるイマーム・レザー(彼に平安あれ)の行動に則して考えてみたいと思います。どうぞおつきあい下さい。
シーア派8代目イマーム・レザー(彼に平安あれ)の弟子たちの一人であったムハンマド・ビン・アッバードはイマーム・レザーの敬虔な行いについて次のように述べています。
「イマーム・レザー(彼に平安あれ)は、一年中ずっとごく質素な衣服を着ていました。そして彼の高貴なお姿にもかかわらず、人目をひくような華美な服装を身につけるようなことは全くなく、常にごわごわとした生地の服を着ておられました。そして人々の前に出たり、誰かに会うために外出する時にだけ、人々への礼儀として外出用に、ご自分の最上の服を身につけて出かけておられましたが、その際もきちんと整った身なりをするというためだけで、華美でない簡素な衣服を身につけておられました。」
イマーム・レザー(彼に平安あれ)は次のように仰っています。
「衣服は人の人格を表すものであって、これに無頓着でいてはいることはできない。」
イマーム・レザー(彼に平安あれ)が人々の前できちんとした身なりをしていた理由とは次のとおりです。もしある人の外見がきちんとこざっぱりとしていれば、人々はこの人を見て心地よく思い、この人に対して実に良い印象を持つからです。同様に、不潔で乱れた身なりの人を見れば、人々は気分を害してしまうものだからです。シーア派8代目イマーム・レザーが人々の前できちんと整った美しい身なりをしていたのは、人々が彼を見て、質素な暮らしと同時に、きちんと整って清潔な身仕舞いや暮らしを学ぶためです。そしてまた、信徒の人々がイスラム法にかなった方法でこの現世の物質的な暮らしを享受することを学ぶためです。イスラム法にかなった方法とは、ハラールと呼ばれますが、ここではつまり、人々が盗みや不正などによってではなく、自分できちんと働いた稼ぎから得たものから現世の物質的な暮らしを享受することで、イマーム・レザー(彼に平安あれ)はこのような正しい生き方を人々に教えようとしていたということです。そして、ハラールつまり合法的に得た稼ぎや財産とは反対に、盗みや不正によって得た稼ぎや財産はハラーム、つまり法にかなっていないものとして禁じられています。
イマーム・レザー(彼に平安あれ)の家では、貴族のようなきらびやかな暮らしは一切なく、華美な装飾品もまるで置かれていませんでした。現世的で華美な生活から遠ざかった簡素な暮らし方は、イマーム・レザー(彼に平安あれ)の最も優れた人柄のひとつでした。イマーム・レザー(彼に平安あれ)がアッバース朝カリフ・マアムーンにカリフ後継者として選ばれた時も、彼は権力や栄誉にはなんの関心もありませんでした。伝えられるところでは、イマーム・レザー(彼に平安あれ)がカリフ後継者の地位を受け入れざるを得なくなった当時、断食明けの祭りの日が近づき、カリフ・マアムーンが礼拝を行うためにイマーム・レザー(彼に平安あれ)を招いたところ、彼は、断食明けの礼拝用の衣服、それも非常に簡素な衣服で現れ、杖はついていたが、靴は履いていなかったといいます。
イマーム・レザー(彼に平安あれ)の別の優れた徳を表す、次のような逸話があります。彼は、イスラム政権の最高の地位であるカリフ後継者の地位にあった時も、たった一人の召使いにも、自分のために何か用を足すように言いつけることはありませんでした。伝えられているところでは、彼は風呂に入る時も、自分のために風呂を用意するよう、誰かに言いつけることを全く好まなかったそうで、また身の回りことは全て自分で行ったということです。そして、彼は人々への親しみの思いから公衆浴場に通ったもので、こうして人々と親しくつきあっていました。
まとめて言えば、イマーム・レザー(彼に平安あれ)の生活は飾り気のない質素さに溢れていました。また彼は非常に小食で、常にごく質素な食事をとっていました。
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