3月 22, 2023 21:44 Asia/Tokyo
  • ノウルーズの慣習
    ノウルーズの慣習

イラン人のノウルーズの過ごし方についてお話しします。

タジク人の詩人、サフィーエ・ゴルロフサールは、ノウルーズと春は魅惑的だとし、次のように語っています。

「春は私の好きな季節です。自然の驚異が感じられるからです。私が初めて詩を作ったのは12歳のときでした。春でした。その時までいつも山に行っていました。最初の緑、最初の花を摘んでいました。水遊びをし、山の中を駆け回りました。咲いている花の名前を覚えていました。どこでいつ咲くのかも知っていました。学校の行事で花を摘むために山に連れて行かれました。ファルヴァルディーン月でした。ファルヴァルディーン月のタジキスタンの山の美しさを想像してみてください。あるとき誰の声も聞こえず、誰の姿も見えず、クラスメイトたちの存在が消えてしまったように感じ、さまざまな花が咲きほこった場所だけを見つめていました。クラスメイトたちが私のことを呼んでいましたが、私には聞こえませんでした。紙とペンは持ってきていませんでした。家に帰った後、まず最初に、自分が覚えているあらゆることを書こうと思いました。そのときから、私は自分がそれまでの私とは違うように感じました」

 

そう、ゴルロフサールの言う通りです。春は私たちを連れ去ります。春の美しさは私たちの意識を持ち去っていきます。芸術家や詩人、画家や音楽家は、春の美しさからヒントを得て、永遠の作品を生み出すのです。

 

社会的な行動や生活様式は、人生に関する私たちの考え方からくるものです。人生の目的とは何でしょうか?私たちが歩むべき道を描き出す目的は、当然、自分に適した形で、一つの生活様式を私たちに提案します。生活様式は、あらゆる文明の根本の一部であり、手段と根本の二つの部分からなっています。

 

手段とは、多くの人が、国家の発展の要素として描いている価値観です。知識、発明、産業、政治、経済、政治、軍事力、国際的な信用、宣伝の手段などが、こういうものにあたります。

 

もう一つの根本の部分は、生活の中心を占める事柄であり、それこそが生活スタイルになり、文明の姿となります。これは家族、結婚、住宅、衣服、消費モデル、食べ物、料理、娯楽、経済活動、文字や言葉。また、政治、スポーツ、メディアにおける人々の行動や良心、配偶者、子供たちへの態度などがあげられます。この分野には、旅、外国の人たちや他の民族、宗教に対する対応の仕方も含まれます。これらは皆、一つの文明を構成する要素であり、その文明に関する判断や評価は、これらの要素をもとに行われます。

 

ノウルーズの慣習は、イラン・イスラム式の生活スタイルを具現するものです。ノウルーズに行われる事柄は皆、イランの人々の家庭の結びつき、社会的な関係を強化することにつながります。イランの文化やイスラムの指示では、祝祭や人々との付き合いでは、華やかさを求めたり、他人をうらやんだりすることを控えるようにとされています。明らかに、このメッセージを忘れれば、ノウルーズは単調な繰り返しの行事となってしまうでしょう。

 

また、ノウルーズにおける創造世界の変化の深さを信じ、自分をその一部と考えれば、ノウルーズの風俗慣習は、文化的な変化の土台となりうることが分かるでしょう。ノウルーズは、現代、過去、未来の人々を結びつけるためのきっかけです。なぜなら、イラン人のノウルーズの過ごし方には多くの特徴があり、一年の他の時期や、この思想的、地理的な文化圏にいない人々のためのモデルとなりうるからです。

 

例えば、ノウルーズの祝祭は、魂を清らかにし、疲れを取り除きます。現代の研究者たちも、人々の精神を高め、生きる力を与えることを生活スタイルの特徴として、挙げています。ノウルーズの文化を他の人々に知ってもらい、季節の始まりを祝い、それを人々が集まるためのきっかけとする文明について語ろうとすれば、間違いなく、このような生活スタイルを広めることができるでしょう。

 

イラン人の文化への自然の影響もまた、世界中の自然を愛する人々に、ノウルーズのイラン人の過ごし方を知ってもらうための要素です。イランの文化の歴史において、暦は自然と密接に結びついてきました。このような見方は、イランの文明に特有のもので、象徴的な行動が、自然の要素に結びついています。イランの新しい年は、冬が終わり、春に新芽が顔を出す時期に始まります。

 

ノウルーズには多くの慣習や儀式が行われ、それらは、人間の自然への敬意をあらわしています。環境の保護は、人間が地球で生き続けるために最も重要なニーズであり、それを怠れば、償いきれない損害を及ぼし、人間や生き物の健康を危険にさらすことになります。

 

ノウルーズは、環境や自然への最大限の尊重を守る祝祭です。イラン暦のエスファンド月15日は、植樹の日とされ、新しい年まで2週間を残す頃、この儀式が行われます。植樹の重要性については、イスラムの預言者ムハンマドが次のように語っています。

 

「苗木があれば、最後の審判が行われる前に、機会があるだけ、それを植えるように」

 

新しい年を前にしたイラン人の行動は、彼らの生活様式における肯定的な特徴のひとつであり、イラン人のほぼ全ての祝祭の儀式において守られています。年が移り変わる際の儀式のために青草を準備し、ハフトスィーンという新年の飾り物に添えることは、実際、豊穣と農業への敬意を示しています。

 

ノウルーズには、迷信を取り払うことも行われています。迷信的で誤った風俗習慣を復活させ、誤った考え方を広めることは、いかなるときにも受け入れられない上に、ノウルーズの祝祭に関しても正当化することはできません。

 

明らかに、どのような伝統も、それがたとえよいものであっても、時の経過と共に、迷信が入り込む可能性があります。ノウルーズに関しても、そのような迷信が入りこんだことがありましたが、それは論理的に正当化できないものとなっています。

 

現代の宗教学者の一人であるモタッハリー師は、そのような迷信と理由について次のように語っています。

「聖典コーランは、多くの節の中で、あらゆる悪の源は人類の存在以外からのものではないとはっきりと述べている。つまり、人間は悪い考え方を持つ可能性がある。そしてそれが迷信や無知に溢れていた場合、悪となる。悪は退廃した道徳の中にのみ存在する。悪は卑しい行いの中以外には存在しない」

 

このように、イラン人によって行われるノウルーズと春の訪れの祝祭は、古い伝統を繰り返すだけのものではなく、そのルーツや実施方法、効果について考えることで、私たちの生活に多くの恩恵や変化をもたらすことができ、私たちの生活スタイルに新しい色や香りをもたらすことができます。その場合、一年のあらゆる季節を春とすることができるのです。

 


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