イスラム教と禁じられた物(音声)
イスラムは、一部の食べ物や飲み物を不浄なものとして禁じています。
ラマザーン月もまもなく終わろうとしています。ラマザーン月は、神の僕たちに対する慈愛の象徴です。断食を行う人は、寛容な神の命に従い、1ヶ月間、自らの内面が真理を反映するものとなるよう努めました。毎日断食を行い、夜は神に祈りを捧げて過ごしたのです。
コーラン第2章アルバガラ章雌牛、第168節には次のようにあります。
「人々よ、地上にある合法で清らかなものを食べなさい。悪魔の歩みに従ってはならない。悪魔はあなた方にとって明らかな敵である」
イスラムは、一部の食べ物や飲み物を不浄なものとして禁じています。それらは、人間の肉体や精神に悪影響を及ぼすためです。酒、豚肉、死んだ動物の肉などがその例です。イスラム法の総体的な原則により、イスラム教徒は、精神や肉体に悪い影響を及ぼす全てのものを避けることが義務付けられています。
人間は、理性を持つために万物の霊長とされています。イスラムは、健全でバランスの取れた精神を持つ人間を形成しようとしています。そのため、イスラムでは理性を失わせるようなものを禁じています。コーランは、酒を飲むことは大きな罪であるとし、それを卑しく醜い行いとして挙げています。心理学者は、アルコール飲料を飲むと、良心が失われるため、道徳や社会的な礼儀に対して無関心になるとしています。
イギリスの思想家、ベンサムは、「ムハンマドの教えの大きな特長のひとつは、すべてのアルコール飲料を禁じていることである」と語っています。フランスの作家、ピエール・ロティも、「私もイスラム教徒だと言えるかもしれない。なぜなら、今までアルコールを口にしたことはなく、その好ましい結果に心から満足しているからだ」と話しています。
菜食主義を勧めたり、反対に蛇やワニなどのあらゆる動物の肉を食べることを合法と見なす人たちに対し、コーランは、中庸な道を取っています。コーランは、人間の自然なニーズに基づき、次のように語っています。「肉を食べなさい。だが、あらゆる動物の肉を、どのような形で食べてもよいというわけではない。息をしていない、あるいは死んだ動物、と殺されていないもの、血が流されていないものは食べてはならない。また、神の名を唱えずに、不信心者や多神教徒によってと殺された動物の肉も食べてはならない」
合法とされる動物、禁じられた動物については、イスラム法で詳しく述べられており、イスラム教徒はそれらを守るべきだとされています。とはいえコーランは、もし死の危険があり、禁じられたものの一つを食べなければならないときには、必要以上の量を消費しない限り、神から赦されるとしています。イスラムは必ず何らかの道を残しており、やむをない場合には、罪を赦しています。一部の食べ物が禁じられているのは、衛生上の問題からに限られず、多神教信仰などの卑しい行動を避けることが、その基準となっています。イスラム教徒は食べることにおいても、唯一神信仰から外れてはなりません。
これまでこの番組の中で、イスラム教の教義についてお話してきました。そして、エブラヒム澤田達一師から、分かりやすい言葉で解説していただきました。最後に、これまでの内容を振り返ってみましょう。
神を求め、崇拝する気持ちは、人間の本能に組み込まれているものです。人間は、本能的に唯一の神の存在を感じています。神はすべての存在物の創造者です。そしてすべての創造物に慈悲を注ぎ、公正に扱います。唯一の神のみが、崇拝に値します。
人間は直接、神とつながりを持つことができないため、神はそのメッセージを人類に伝えさせるために預言者を遣わしました。神の最後の預言者が、ムハンマドです。彼の後に預言者は遣わされていません。預言者ムハンマドの永遠の奇跡はコーランです。コーランは、イスラム教徒にとって、天啓の書であるだけでなく、導きと人生の書です。シーア派は、預言者の後、12人のイマームが、イスラム社会を導く責務を担ったと考えています。最後のイマームはマハディで、現在、隠れた状態にあり、世界の終わりに、人類を圧制、多神教崇拝、堕落から救うために立ち上がります。イマームマハディは、真理に反対する人々に勝利した後、イスラムの考える理想的な社会を打ち立て、地上を公正と幸福で溢れさせます。
人間の魂は、死後も滅びることはなく、最後の審判の日、魂が肉体に戻ります。この日、神は現世での人間の行いを公正に清算します。よいことを行った人々は永遠の天国に行き、悪いことを行った人たちは地獄で神の責め苦を受けます。
イスラム教徒になるには、唯一の神と預言者がムハンマドであることを誓うだけで十分です。イスラム教徒は、さまざまな宗教義務を遂行します。礼拝、断食、メッカ巡礼、ホムスやザカートと呼ばれる喜捨、善を勧めて悪を否定すること、ジハードと呼ばれる神の道における戦いや努力が、イスラム教徒の宗教義務です。こうした行為は個人的な領域に限られず、信条、思想、社会、経済、政治といった広い範囲の問題を含んでいます。
イスラムは、両親への孝行、正直さ、親類との付き合いと彼らの問題への配慮、他人とのよい接し方、責任感、家族の生活の保証といった事柄を推奨しています。また、嘘つき、裏切り、高利貸し、陰口、誹謗中傷を非難し、イスラム教徒にそれらを禁じています。