ペルシャ語ことわざ散歩(131)「仕立て物屋が壷に落ちた」
皆様こんにちは。このシリーズでは、イランで実際に使われているペルシャ語の生きたことわざや慣用句、言い回しなどを毎回1つずつご紹介してまいります。
今回のことわざは、「仕立て物屋が壷に落ちた」です。
ペルシャ語での読み方は、Darzii dar kuuze oftaadとなります。
このことわざは、ある事柄について誰かに講釈を垂れていた本人がその問題を抱えることを意味しています。昨今では、コロナ対策を声高に叫んでいたある国の保健衛生当局のトップがコロナ感染したというニュースも聞かれるようですが、まさにこのような場合に使われます。
このことわざは、イランに伝わるある古い物語が元になっていると言われています。
その昔はイランの支配下にあり、現在はトルクメニスタン領となっている、マルヴという町で、ある人物が仕立て物屋を営んでいました。この仕立て物屋の店の近くには墓地があり、誰かが亡くなるたびにこの仕立て物屋の店の前を葬儀の列が通っていきました。
ある日のこと、この仕立て物屋は一月に何人の人が亡くなるかを数えようと思い立ちます。しかし、彼は識字能力がなく文字や数字が書けないため、壁に釘を打って壷をつるし、自分の店の前を葬儀の列が通るたびにその壷に小石を1つ入れることにしました。こうして彼は毎回、誰かの葬儀の列が店の前を通るたびにこの壷に石を入れ、月末にその石を数え、翌月には壷を空にし、再び人が亡くなるたびに壷に石を入れていました。仕立て物屋がこのような事をしているといううわさは、町全体に伝わりました。
そうして数ヶ月が経ったある日のこと、この仕立て物屋は突然心臓発作を起こして帰らぬ人となってしまいます。そこへ、このことを知らずにある人が洋服の仕立てを依頼しようとこの仕立て物屋のところにやってきますが、店はしまっており、この店の主はどこに行ったのかと近くの人に尋ねます。この店の隣人はそこで、「ここの仕立て物屋は壷に落ちました」と答えました。ただ、やってきた人にはその意味がわかりませんでした。そこで、この仕立て物屋が毎月この店の前に葬儀の列が通るたびに、壷に石をいれてひと月に亡くなる人の数を数えていた、と説明したということです。
つまり、亡くなる人の数を数えていた本人が亡くなったことから、このことわざが生まれたということです。現在の実生活におきましても、他人に何かを注意・勧告しておきながら、自分がその過ちを犯す、その事態に陥るという事例はよくあるのではないでしょうか。他人に試験に備えて勉強するよう促していた本人が、何かの試験に落ちた場合などにこの表現はよく使われているようです。そのようなことにならないよう、注意したいものですね。それではまた。