7月 31, 2022 15:11 Asia/Tokyo
  • イスラム
    イスラム

イスラムは平和を求める宗教であり、テロや民間人、罪のない人に対する暴力やテロに強く反対しています。

にもかかわらず、西側メディアは意識的にコーランやイスラムの伝承ハディースを曲解し、ジハード・聖なる戦いや殉教といった崇高な思想をテロや暴力として解釈しています、。しかし、人間のもっとも崇高な思想と精神は、このようなイスラムの教えの中に隠されています。殉教とは、人間の崇高さのきわみであり、また、聖なる戦いは正義の確立のための建設的な努力であり、人間を抑圧や圧制のくびきから解き放つものです。

人間は、友愛などの感情により、戦争を非人道的で恐ろしい行為だとして、戦争の悲惨な結果や犯罪を思い起こすことで、強い衝撃を受けます。しかし、さまざまな状況の中で起こる戦争を防ぐことはできるのでしょうか。

明らかに、侵害の対象となっている集団は、自分たちの権利を守る必要があります。どの国民も、生命や財産を脅かす敵と和解したいとは思わないでしょう。イスラムは聖なる戦いを、命と財産を守るために重要だとしています。イスラムは好戦的な宗教ではなく、イスラムの見解では、侵略者から始められた戦争に対しては応戦します。

聖なる戦いとは、国や個人を守ることに限られず、権利や真理を守る場合、そして抑圧された人々を助ける場合、それは聖なる戦いになります。ある社会の中で、特定のグループは抑圧された存在となる可能性があり、このようなことに関して、無関心ではいられません。

神が聖なる戦いを行ったものに与える吉報は、イスラムにおける聖なる戦いの重要性を物語っています。コーランは、聖なる戦いを大変に利益ある取引にたとえ、責め苦から救われ、現世と来世で成功する要因となるとしています。神は聖なる戦いを行うものに、楽園と永遠の生という吉報を与えるのです。

しかし、イスラムにおける聖なる戦いをすばらしいものにしているのは、聖なる戦いの作法です。イスラムは人類社会における戦争の勃発を避けられないものだと予想しています。罪のない人々や、女性や子供が戦争の中で虐殺されるという悲劇を防ぐよう それを管理・抑制するための法を定めました。戦争というもっとも過酷な状況の中であっても、イスラムは道徳や人間性の問題に特別な関心を寄せているのです。コーランでは繰り返し、戦場において、理性や人間性の範囲で正義と不可侵を配慮するよう強調しているのです。

 

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