ファールス州;シーラーズ(2)
シーラーズは、歴史・文化財の多様性や数の多さゆえに、ユネスコから世界の文化都市に指定されています。
今回もシーラーズへの旅を続け、この町やその周辺にある、文化、歴史、宗教に関連する観光の見所についてご紹介してまいりましょう。
ファールス州には、300を超える史跡が存在し、イランでも第一位を占めています。これらの史跡は、シーラーズの町やその近郊に見られ、それらをイスラム以前とイスラム期の2つに分けることができます。イスラム以前の史跡を代表するものとしては、アブーナスルの城塞、パハンダルの城塞とサーサーン朝時代のレリーフを挙げることができ、これらはシーラーズの町の郊外に位置しています。
イスラム以前の史跡の中でも、アブーナスル城塞は、昔の旅行家たちの注目を集めています。ジャン・タヴェルニエ、ジャン・シャルダン、エドワード・ブラウンといった旅行家は、イランを旅した際、アブーナスル城塞の建築の壮大さについて語っています。この城塞の跡は、シーラーズの東8キロのところに、石とレンガの建物の廃墟として、小高い丘の上に残っています。1932年から33年にかけて行われた発掘調査により、中心的な建物はアケメネス朝時代に建てられ、パルティア帝国時代に、そこに別の堅固な建物が建設されると、それがサーサーン朝時代に使用されていたことが分かりました。この地域で発見された最古の遺物は、アケメネス朝、セレウコス朝、パルティア帝国時代のもの、つまり、紀元前6世紀から紀元前2世紀のものとされています。
シーラーズの東、アブーナスル城塞からおよそ6キロ離れた、イマームザーデ・イブラヒームという墓の近くに、岩山の断崖があり、そこには数名のイランの王のレリーフが刻まれています。これはサーサーン朝時代のもので、バルム・デラクと呼ばれています。この場所は、昔から、美しい自然と爽やかな気候を有するために、ファールス州の人々の憩いの場となってきました。
パハンダル城塞も、アケメネス朝時代の史跡で、シーラーズの北東、森林公園の敷地内の山の上にあります。この城塞は、ファールス州の堅固な城塞のひとつで、敵の攻撃からシーラーズの町を守り、監視するための場所だったとされています。そこからは、シーラーズ平野全体を見渡すことができます。この城塞には深い井戸が掘られており、それらはこの地域のアケメネス朝時代の他の井戸に良く似ています。イギリスの東洋学者、サイクスは、『イランでの1万マイル』と題する旅行記の中で、この城塞と、底に掘られた深い井戸について取り上げています。
シーラーズの貴重な古代遺跡は、これまでお話ししたものに限られません。シーラーズの北60キロ、マルヴダシュトという地域にあるラフマト山の麓には、紀元前5世紀のイラン人の芸術の壮麗さを物語る、壮大な古代遺跡が存在します。この古代遺跡は、現在、イランで、タフテジャムシードという名で知られていますが、一部の国では、ペルセポリスと呼ばれています。タフテジャムシードは、数多くの建物から成り、それぞれが特別な目的で造られています。多くの柱を持つ広間や建物の建築の特徴は、この場所が、アケメネス朝時代のイランの王たちの儀式を執り行う場所であったこと、これらの建物が、各国からやって来た客をもてなすために建設されたことを物語っています。
タフテジャムシードの総面積は12万5000平方メートルで、この一帯のマルヴダシュト平野よりも8メートルから18メートル高い場所にある台地の上に建てられ、儀礼のための宮殿、個別の小さな宮殿、王の倉庫、警護のための砦などで構成されています。タフテジャムシードの建物へと続く入り口は、およそ450メートル×300メートルの石畳の上にあり、幅の広い111段の階段を登っていきます。
歴史的な資料によれば、ギリシャ人にペルセポリスと呼ばれていたタフテジャムシードは、アケメネス朝のダーリウーシュ1世の宮殿でした。この壮大な宮殿群の建設は、紀元前512年のダーリユーシュ1世の時代に始められ、完成までに150年の年月を要したと言われています。マケドニアのアレクサンダー大王が、紀元前331年にイランを攻撃した際、イラン文明に対する嫌悪と憤りから、タフテジャムシードに火を放ちました。その結果、石の上に建てられた柱以外、全てが燃やされ、レンガ造りの壁も皆、破壊されてしまいました。それにも拘わらず、この壮大な歴史遺産の壮大さと芸術は、見る者に興奮と熱情を与えるものであり、イラン人の芸術家の偉大さと驚嘆に値する建築技術を表しています。建物の壮大さ、柱の高さ、石の彫刻、その他の美しい装飾は、タフテジャムシードを見る者を驚嘆させずにはおきません。アメリカの歴史家、ウィル・デュラントは、「東洋、文明のゆりかご」という著書の中で、次のように語っています。「最も壮麗な古代遺産、それはタフテジャムシードの柱や中庭、石の階段であり、世界の建築史上、それに匹敵するものは存在しない」
タフテジャムシードの至る所には、非常に美しい彫刻が見られますが、それらは皆、2500年前の人々やアケメネス朝時代の王たちの考え方やものの見方、関係や交流を示しています。タフテジャムシードの彫刻には、必ず、松とヤシの2本の木が見られますが、それらもまた、イランに常に緑や庭園が存在したことを物語っています。この地域の東にある山の中腹には、アケメネス朝時代の3人の王の墓があります。これらには、古代ペルシャ語、バビロニア語、エラム語の3つの言語で、建物の歴史など、数多くの碑文やレリーフが刻まれています。タフテジャムシードは、1979年にユネスコの世界遺産に登録されました。
ファールス州のイスラム以前の歴史遺産は、これだけに留まりません。タフテジャムシードの北、70キロのところには、アケメネス朝時代から残る、パーサールガードという世界遺産も存在します。この史跡は、幾つかの宮殿、2つの別邸、水をたたえた王の庭園、テレ・タフト要塞、モザッファリーの隊商宿、キュロスとカンビュセスのアケメネス朝の2人の王の墓などで構成されています。パーサールガードは、2004年にユネスコの世界遺産に登録されました。
アケメネス朝の最初の都であった、パーサールガードの古代都市は、ファールス州の中央、ポルヴァールという河川の流れる平原に位置しています。この町は、紀元前6世紀、キュロス2世によって建設されました。主要な敷地面積は160ヘクタールで、大きな自然の広がる地帯に囲まれています。パーサールガードで最も重要な遺跡は、キュロスの墓です。この墓は、紀元前およそ540年から530年に白い石灰岩で作られました。墓の建物は王の庭の中にあり、大きな岩を積み上げて作られ、その中には一辺の長さが7メートルに及ぶものもあります。
ここまでお話しした以外にも、タフテジャムシードの周辺には、サーサーン朝、パルティア帝国、アケメネス朝の各時代のものとされる貴重な歴史遺産が存在しています。イランを訪問した際には、是非、これらの遺跡を見学することをお勧めします。