ペルシャ語ことわざ散歩(139)「ラクダに乗っている人は歩いている人のことはわからない、満腹している人は空腹な人のことはわからない」
皆様こんにちは。このシリーズでは、イランで実際に使われているペルシャ語の生きたことわざや慣用句、言い回しなどを毎回1つずつご紹介してまいります。
今回ご紹介するのは、「ラクダに乗っている人は歩いている人のことはわからない、満腹している人は空腹な人のことはわからない」です。
ペルシャ語での読み方は、Savaare az piyaade khabar nadaare, sir az gorosneとなります。
このことわざは、文字通りの意味から本来の意味をご想像いただけた方もいらっしゃるかもしれませんね。これはまさに、楽な状態にある人は苦しい状況にある人の気持ちが理解できない、人の苦労は他人にはわからない、ということを意味しています。
このことわざは、移動手段にまだラクダを使っていた時代の古い物語に由来するといわれています。
ある男が、灼熱の太陽が照りつける中、ラクダに乗ってある遠い目的地に向かって進んでいました。その途中で、歩いている別の男に出くわします。歩いていた男は非常に疲れていたため、ラクダに乗っている男を見つけ、自分も乗せてほしいと頼みました。しかし、ラクダに乗っている男は、「このラクダには1人しか乗れない。このラクダは私の足代わりだから」と言って断り、そのまま進み続けます。
さて、それからしばらくたって、歩いていた男は途中で空腹を感じ、持っていたパンとナツメヤシを食べ、また歩き出します。すると、先ほどのラクダに乗った男に再び出くわします。ラクダに乗った男は、「俺は空腹だ。お前の持っているパンとナツメヤシをくれ」と頼みます。歩いていた男は皮肉たっぷりに「私は1人分のパンとナツメヤシしか持っていない。これは私の食べ物だ」と告げ、ラクダに乗った男を置いてきぼりにしてそのまま歩き続けます。
結局、ラクダに乗っている男は食べ物がないことから、歩いている男は途中で疲れて道端に座り込んでいるところを発見され、見つけた人により馬に乗せられて町に戻ったということです。
日本語でも、「人の身になって考える」とよく言われますが、誰かに何かを発言する場合、他人を批評しなければならない場合など、常に相手の立場や置かれた状況などを考慮したいものですね。それではまた。

