2月 04, 2023 16:42 Asia/Tokyo

皆様こんにちは。このシリーズでは、イランで実際に使われているペルシャ語の生きたことわざや慣用句、言い回しなどを毎回1つずつご紹介してまいります。

今回は、イランの著名な詩人サアディーの名作「薔薇園」の中の一節をご紹介してまいりましょう。

サアディーは「悪い本質は良いものにはならない、なぜなら大元が悪いからである。愚か者への教育は、丸屋根の上の胡桃のごとし」と詠んでいます。

ペルシャ語での読み方は、Asl-e bad niikuu na-gardad ze anke bonyaad-esh bad ast,

tarbiyat-e naa-ahl raa chuun gerdakaan bar gonbad astとなります。

この一節において、サアディーは「本性がよくない、性根の腐ったような人間に教育を施しても受け付けない。それは、胡桃を丸屋根の上に置いたときにその場にとどまらず、転げ落ちてしまうことに等しい」と述べています。

人間の本性に関する考え方としては、古代の中国における性善説と性悪説がよく知られているのではないでしょうか。孟子が提唱した性善説は、人間の本性は善良であって、生まれた後に置かれた環境や、関係する人々から悪い影響を受けることにより一部の悪人が生まれるとするものです。

これに対し、荀子が提唱した性悪説は、人間の本質を悪とみなし、生まれた後の教育や人との関わりによって社会に馴染み、他人と共存できるようになっていく、としています。

一方で、このことわざに集約されるサアディーの考え方は、性善説や性悪説のいずれとも異なるようです。つまりサアディーは、人間は生まれたときからある一定の本質を持っており、その基本的性質は変化しない、と考えているのではないでしょうか。

こうして考えてみますと、サアディーのこの一節はどちらかと言えば「三つ子の魂百まで」に近いように感じられますが、皆様はどのようにお考えでしょうか。

以上、今回はイランの大詩人の作品からの一節をご紹介しました。それではまた。

 


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