ペルシャ語ことわざ散歩(177)「明日も神の日である」
皆様こんにちは。このシリーズでは、イランで実際に使われているペルシャ語の生きたことわざや慣用句、言い回しなどを毎回1つずつご紹介してまいります。
今回も、神という言葉が出てくることわざをご紹介しましょう。今回のことわざは、「明日も神の日である」です。
ペルシャ語での読み方は、Fardaa ham ruuz-e khodaastとなります。
この表現が意味しているのは、日本語で言うよい意味での「明日がある」という内容です。
つまり、何かの仕事や計画、やるべきことを今日全部終わらせることはできなかったが、一晩ゆっくり寝て英気を養い、また明日再開するということです。
今日できなかったからといって、そこで失望するのではなく、未来を夢見てまた明日努力する、という意味にもなります。
特に、確かに今日何かを全部終わらせることができず、やり残して明日以降に伸ばすことを心配している一方で、まだ猶予期間があるというような場合、このことわざを使って「まだ猶予が残っているから心配せず、必ず期限までに終えられる」という希望を持つよう促したりします。
さらには、これまでに過ぎ去った日々を後悔している人に対し、このことわざを使って励まし、また明日から始めればよいなどと言ったりします。
ビジネスやそのほかの色々な分野で成功した人の話を聞いていますと、ほとんどの方が「過去と他人は変えられないが、未来と自分は変えられる」、「人生はいつでもこれから。今日から出発」という考えを持っているようです。
確かに、「明日のことは誰にもわからない」「一寸先は闇」ということも言われますが、だからといって必要以上にこれからのことを心配したり、過去をくよくよと悩むよりは、現在の目の前のことに全力投球し、未来に希望を持つほうが、物事の成果も上がり、精神面の健康も維持できるのではないでしょうか。
もうかなり前のことですが、大変面白いタイトルの書籍を見つけました。これは曹洞宗徳雄山建功寺の住職を務めておられる、枡野俊明(ますの・しゅんみょう)さんの著作「心配事の9割は起こらない」です。とても興味深い内容で、今後について無意味な心配をする必要がないことが、色々な角度から説明されています。この書籍を皆様にお勧めするとともに、イスラム圏のイランで使われている本日のことわざも合わせて、皆様が未来に希望を持って日々を過ごされますよう願っております。それではまた。