7月 12, 2016 11:56 Asia/Tokyo
  • 神の性質(3)

今回の番組では、すべての存在物に糧をもたらす神の性質についてお話しすることにいたしましょう。

神の属性の一つに、糧の供給者というのがあります。コーランの数多くの節にこの神の属性が指摘されています。日々の糧とはつまり継続的な供給であり、神の糧は神が存在物に対して継続的に供給するものです。

コーラン第51章ザーリヤート章、撒き散らすもの、第58節には次のようにあります。

「明らかに神は糧の提供者であり、堅固な力の所有者であられる」

 

糧は神が僕にもたらすあらゆる利益です。物質的なもの、精神的なもの、衣食住、あるいは学問や知識、信仰、これらすべてが糧にあたります。コーラン第11章フード章、フード、第6節には次のようにあります。

「地上のすべての生き物で、神の糧を得ていないものはいない。彼はその居場所、一時的な場所(、そして移転場所)を知っておられる。これらすべては明らかな書物(神の知識を維持する木版)に記されている」

 

この節では、神の知識の範囲と世界のすべての秘密の把握が指摘されており、すべての生き物に神は糧をもたらすということについて語られています。この節によれば、地球上に神による糧を受けないものはないとされています。明らかに、糧はすべての生き物に注がれ、世界のすべてを知ることなく、生き物の場所や必要性を知ることなく、それを実現することはできません。人間であれ動物であれ、生き物の正確な情報や彼らの様々な必要性を知るための、正確で特別なシステムが存在します。この節は、生き物はどこにいようと、どんな条件にあろうと、神は彼らに彼らの糧の分を与えるとしています。なぜなら、彼らの主な居場所も、彼らが行き交うすべての地点も知っているからです。彼は海の巨大な生き物から微生物まで、すべての生き物に、その状況に応じて必要なものを定めているのです。

 

このため、誰も糧を得る上で不安になるべきではなく、自らの分け前をもらい損ねるのではと考えるべきではありません。なぜなら、すべてが考慮されている書物の中にすべての名前が記されているからです。この糧は、あらゆる点から考慮されており、質量の点で、あらゆる存在物の必要性や要求に基づいています。母親の胎内にいる胎児の栄養ですら、毎月、毎日、その必要性に従って変化しています。神の恩恵が糧を与えるものでなければ、胎児はどのようにして母親の胎内で栄養を取ればよいのでしょうか。授乳期に赤ん坊は数ヶ月同じ母乳を飲んでいるように見えますが、その母乳の成分も日ごとに異なっているのです。子どもは歯も生えておらず、食べ物を消化できるような胃腸が整っていない乳児期に、発育を促す物質に溢れる消化の良い母乳によって栄養をとっているのです。

 

存在物に糧を与えるシステムにおいて、慎重に考えてみると、神の力の興味深い点が明らかになります。生き物のニーズの確保、言い換えればそれらに糧をもたらすことは、非常に興味深い問題であり、時の経過と学問の発展により、その秘密が明らかにされています。かつて、学者は、もし深い海に生物が存在するなら、彼らはどのようにして栄養を確保しているのかと考えました。なぜなら、栄養素はもとは植物であり、それらは太陽の光を必要とするからです。700メートル以上の深海には光は届かず、完全な暗闇です。しかしながら、まもなく学者たちは、太陽の光が水面や波の間で微小な植物を育て、それらが成長を遂げたとき、熟した果実のように海の底に沈んでいき、そこに暮らす生物に恩恵をもたらしていることに気づきました。

 

多くの鳥たちは海の魚を養分にしています。さらに夜の暗闇の中でも熟練した潜水士のように海にもぐって、鼻先から出されるレーダーのような電波によって、獲物を特定し、それを捕獲します。興味深いのは、一部の鳥の糧が、巨大な鯨の歯の間にあるということです。鯨は海の生物を食べた後、歯の掃除を必要としています。なぜなら歯の間の食べ物のかすは、鯨にとって不快なものだからです。このため、海岸の方に向かって行き、口を開けて鳥たちがそれを食べてくれるのを待ちます。ある鳥たちは全く恐れをなすことなく、鯨の口に入っていき、自らの餌を探します。神の措置により、最後の鳥が飛び立つまで、鯨は口を閉じません。

 

神が様々な生き物に糧を与えていることは本当に驚くべきことです。誰も及ぶことのできない母体という神秘の暗闇の中にいる胎児から、地中の深いところ、入り組んだ層、あるいは木々の隙間、山の上や谷の中で暮らしている様々な昆虫まで、神の目には明らかです。コーランが述べているように、彼らの居場所、その往来する場所、どこへでもその糧はもたらされるのです。

 

一方で人間は二種類の糧を有しています。シーア派初代イマーム、アリーは、息子のハサンにこのように述べています。

「糧には二種類ある。一つはお前が捜し求めるもの、もう一つはお前を捜し求めるものである。もしお前がその元に行かなければ、それはお前の後を追うだろう。それは雨や太陽の光、自然の中の空気といったもの、あるいは人間の知性、記憶、能力といったものだ」

 

こうした中、一部の楽をしたがる怠慢な人間は神が糧を授けてくれることをいいことに、生計を立てるために努力を行いません。コーランの教えを少しでも知れば、イスラムは人間のあらゆる物質的、精神的な恩恵の享受の基盤をその努力に据えていることがわかります。言い換えれば、神からの糧を受けるということは、人間がただ座って、糧がもたらされるのを待つということではありません。すべての人の糧は必ずもたらされるものですが、分量はその努力によって決まり、もし糧を得ようと努力しなければ、その分け前は失われるのです。

 

とはいえ、神もまた糧の源を人間が及ぶ自然の中に置いており、知性と発見、発明、学力といった手段を人間に与え、彼らがそれらによって努力するようにしています。そして手に入ったものが神から授けられた糧なのです。

 

糧の決定に関するコーランの節や言い伝えは、実際、自分の利益のために圧制や犯罪をも犯す貪欲な世俗主義者に対する警告です。コーランの節は、このような人々に対し非合理的で不法な方法で糧を得ることのないよう警告しています。彼らが正しい糧を得ようと努力すればそれに応じて、神も彼らのニーズを満たすのです。

 

神の糧をもたらすシステムにおいて、地球上の食料は限られているものの、尽きることはありません。なぜなら自然の中の食物連鎖は、数百万年たったとしても、その中に明らかな変化は生じないように調整されているからです。例えば、海の水は蒸発し、その後雨となって地上に降り注ぎます。木々は土から養分をとり、その後、葉や枝が落ちて腐り、有益な肥料となります。こうして植物や木々の栄養分のために必要な物質を整えるのです。動物は植物から栄養分をとります。そしてその糞やその動物自体が土地を豊かなものにするのです。あるいは人間は酸素を吸って、二酸化炭素を吐き出しています。木々は日中、二酸化炭素を空中から取り込み、酸素に変換しており、夜になると逆の動きを行います。概してこうした自然のサイクルにより、生き物の栄養と存続にとって必要な物質が常に自然界には残されているのです。

 

概して、神は生き物に糧を与えることを忘れることはなく、自ら創造した、栄養を必要とする創造物すべてに糧をもたらしています。神は創造物のニーズをよく理解しており、彼らのニーズを最良の形で満たしています。コーランの解説では、神は最良の糧を授けるお方なのです。