12月 24, 2019 23:35 Asia/Tokyo
  • コーラン第19章マルヤム章マリア
    コーラン第19章マルヤム章マリア

今回は、コーラン第19章マルヤム章マリアを見ていくことにいたしましょう。

慈悲深く、慈愛あまねき、神の御名において


マルヤム章マリアは、コーランの19番目の章です。マルヤムとは、預言者イーサーの母の名です。

この章はメッカで下され、全部で98節あります。マルヤム章では、教訓的な物語の形で、神の忠告や吉報が述べられています。この章の一部の節は、ザカリヤー、ヤヒヤー、マルヤム、預言者イーサー、唯一神信仰の英雄である預言者イブラヒーム、その他の神の預言者たちのたどった運命を語っています。これらはそれぞれが、貴重な教訓を含むものとなっています。この章は続けて、最後の審判、罪びとの運命、敬虔な人間の報奨、神に子はいないこと、といったテーマについて語っています。

 

 

マルヤム章の最初の3節は、神の偉大な預言者ザカリヤーの物語を述べています。

 

「カーフ、ハー、ヤー、アイン、サード。これはあなたの主が、僕のザカリヤーに慈悲を与えたことに関する記憶である。そのとき、彼は神を密かに唱えた」

 

 

高齢に達していたザカリヤーは、子供を授からなかったことを悲しんでいました。そこで、誰にも聞かれない場所で、神に向かって語りかけ、言いました。「神よ、私の骨は弱まり、髪の毛は真っ白になりました。神よ、私は決して、自分が行った祈りの中で、希望を失うことはなかった。[今、私は年老いて無力になりました。私に希望を失わせないでください]

 

ザカリヤーは最後にこのように述べました。「神よ、私は自分の後の親戚のことを恐れています。妻は子供を産めません。あなたから私に後継者を与えてください。私とヤアクーブの後継者となる人物を。神よ、彼を好ましい者の一人にしてください」

 

 

 

そのとき、ザカリヤーに声が下りました。「ザカリヤーよ、我々は汝に息子の誕生を伝える。彼の名はヤヒヤーである。その名前はこれまで使われたことはない」 ザカリヤーは喜んで言いました。「主よ、私にどうしたら息子ができましょう? 私の妻は子供を産めず、私は年老いて無力になっているというのに」 すると天使は言いました。「あなたの主は、それは私にとって容易いことだと言っている。私は以前にあなたを創造した。あなたが何でもなかった頃に」

 

 

 

この後、マルヤム章の節は、ヤヒヤーについて語っています。ヤヒヤーは神の偉大な預言者の一人です。彼の特徴の一つは、幼い頃に預言者になったことです。神は彼がまだ幼い頃から、高い洞察力や知識、知性を与え、預言者という大きな使命を担えるようにしました。コーランは、ヤヒヤーの物語を述べた後、イーサーの誕生とその母であるマルヤムのたどった運命について述べています。これらの節では、この2つの物語の結びつきを目にすることができます。ヤヒヤーは、年老いた父親と不妊の母親の間に生まれました。また、イーサーは、夫のいない母親から誕生しました。ヤヒヤーは幼いときに預言者になり、イーサーもまた、ゆりかごの中で、書物や神から与えられた使命について語りました。そして2人とも、神の偉大な力のしるしと見なされています。

 

 

 

マルヤムは、イムラーンの娘、イーサーの母親で、貞節で敬虔な素晴らしい女性でした。コーランの表現を借りれば、神はマルヤムを選び、世界で最も優れた清らかな女性としました。マルヤムの物語は、この章の中で、非常に印象深く美しい形で述べられています。この章は実際、女性の美徳、価値、清らかさを述べ、人間として最高の地位を手にし、神から語りかけられるようになった女性に関して語っています。

 

 

 

マルヤム章は20節に及び、マルヤムの物語を述べています。

 

「この書物の中で、マルヤムのことを想い起こしなさい。彼女が家族のもとを離れ、東の地に赴いたときのことを。彼女は自分と彼らの間に幕を垂れた。そのとき我々は、自分の聖霊を彼女のもとへと送った。それからそれは、なんの欠点もない人間の姿をしてマルヤムの前に現われた」

 

 

 

マルヤムは誰もいない静かな場所を選び、あらゆる喧騒を離れて神と語り合おうとしました。しかし、常に清らかに生き、人々の間でも、敬虔さと清らかさの手本となっていたマルヤムは、そこに見知らぬ男がいるのを目にして非常に恐ろしくなりました。彼女はすぐに言いました。「私は慈悲深い神に助けを求めます。もしあなたが敬虔な人間なら[ば、私から離れてください]

 

 

 

しかし、その男は、人間の姿に形を変えた神の大天使ジブライールでした。ジブライールは言葉を発し、自分の任務をこのように説明しました。「私はあなたの神からの使者です。あなたにあらゆる点から清らかな息子を授けにやって来ました」 マルヤムは言いました。「私が息子を授かるなど、どうしたらできましょうか。これまで誰も私に触れたことはありません。また私は悪いこともしていません」 ジブライールはマルヤムに言いました。「問題はそこです。あなたの神は、それは私にとって容易いことだと言っています。私たちは、その子を、私たちから人々のための慈悲としるしとしたいのです。いずれにせよ、これは必ず起こることです」

 

 

 

とうとうマルヤムは妊娠しました。そのため、彼女はベイトルモガッダスから遠い場所へと赴くことを余儀なくされました。妊娠の期間が過ぎ、マルヤムにとって、人生の重大な時期が始まりました。出産の痛みに襲われました。彼女の状況は特殊なものであったため、マルヤムは人々の目を逃れ、自分が子供を産むことを誰にも悟られないよう、荒野に行きました。コーランによれば、彼女は痛みのあまり、ナツメヤシの木に寄りかかりました。そのとき、マルヤムの全身を悲しみが襲いました。彼女は恐れていたときがやって来たこと、これまで隠していたことが明らかになるときが来たことを感じました。そこで、深い悲しみに沈み、思わずこう言いました。「私など死んでしま、人々から忘れられていたらよかったのに」

 

 

 

マルヤムがそのような苦しい状態にあったとき、突然、足元から声が聞こえました。「悲しむことはない。あなたの神は、あなたの足元に澄んだ泉を沸き立たせた。また、上を見るがよい。あなたが寄りかかっている、その乾いた木が、どのようにしてナツメヤシの実をつけているかを。その木を揺らすのだ。そうすれば、新鮮なナツメヤシの実があなたの上に落ちてくるだろう。その、とてもおいしくてエネルギーを与えてくれる実を食べるのだ。そして、その澄んだ水を飲み、この新たな子の誕生を喜ぶのだ。誰かに会って、それについて何かを聞かれたら、私は慈悲深い神のために沈黙を守らなければならないため、今日は誰とも話しをしないと合図で伝えなさい」

 

コーラン

 

 

こうしてマルヤムは、子供を胸に抱き、荒野から町へと戻り、自分の親戚のもとに向かいました。人々は、新生児を胸に抱いたマルヤムを見ると、口をぱっくりと開けたまま驚いていました。彼らは、マルヤムを清らかで貞節な女性として知っていたので、それは相当な驚きだったのです。人々の中には、このように非難する人もいました。「あんなに輝かしい過去があったのに、穢れてしまうなんて」 また、このように言いました。「マルヤムよ、あなたはどうやら非常に奇妙な悪い行いをしたらしい。ハールーンの姉妹よ。あなたの父は悪い男ではなかったし、あなたの母親も悪い女性ではなかった。それなのに、あなたはどうしてそんなことになってしまったのだ?」 そのとき、マルヤムは沈黙を選び、生まれたばかりのイーサーを指して、彼と話をするように合図しました。しかし、それもまた、人々を驚かせました。人々は彼女に言いました。「ゆりかごの中にいる子供と、どうして会話ができようか?」

預言者イーサーの生誕

 

 

 

そのとき突然、イーサーが言葉を発して言いました。「私は神の僕です。神は私に天啓を与え、私を預言者としました。そして私がどこにいようとも、祝福に溢れた存在とし、私が生きている限り、礼拝を行い、喜捨を施すようにと言われました。また、母親に感謝をし、善を行う者にされ、圧制者や悪人にはされませんでした」 イーサーは続けて言いました。「私が生まれた日にも、私が死ぬ日にも、そして蘇らされる日にも、神の平安が私に降り注がれますように」

 

 

 

コーランは、イーサーの誕生を語った後、イーサーに関する三位一体説や迷信を否定しています。マルヤム章の第34節と35節には次のようにあります。

 

「これは、マルヤムの息子イーサーである。それは彼らが疑っている真の言葉である。神に子供ができるなどということはありえない。彼は無謬である。神が何かをしようと望めば、『あれ』と言うだけで、それは存在するのだ」

 

 

 

これらの節は、神のような崇高な地位にある存在が、子供を持つなどとはありえないということを指摘しています。なぜなら、子供を望むのは、私たちの感情や精神的なニーズのためであって、それには物質的で制限のある存在であることが必要です。しかし神は、それら全てを必要としておらず、絶対的な力を持っています。神は無限の力により、望めばすぐにでも、この世界と同じような世界をいくつでも作り出すことができ、子供を必要とはしていません。私たちが神を一人の人間と同じように子供がいる存在と見なすのは、神を知ることの基本からの逸脱であり、この世界に対する神の支配を理解していないことによるものです。

 

 

 

次の節では、イーサーがマルヤムに対して神の唯一性に注目するようにと強調し、次のように語っています。「神は私とあなたの主です。彼を崇拝しなさい。それがまっすぐな道です」 このように、イーサーは生まれたときから、あらゆる多神教崇拝や唯一の神以外のものへの崇拝に対抗し、神の唯一性を強調しました。そのため、キリスト教徒の間で現在、見られている三位一体説は、完全な異端であり、イーサーの後に生まれ、キリスト教の唯一神信仰の教えとは矛盾するものなのです。

 

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