10月 18, 2016 18:57 Asia/Tokyo
  • 聖典コーラン
    聖典コーラン

今回も前回に引き続き、コーラン第26章シュアラー章詩人を見ていくことにいたしましょう。

慈悲深く、慈愛あまねき、神の御名において

 

アル・シュアラー章は全部で227節あり、コーラン解釈者によれば、最後の4つの節を除き、全てはメッカで下されました。シュアラー章は、第2章のアル・バガラ章に次いでコーランで2番目に節の数が多い章となっています。

 

シュアラー章の第213節から先の数節で、神はイスラムの預言者ムハンマドのやり方や計画を描き、何よりもまず、預言者自身に唯一神を強く信じるよう呼びかけています。唯一神の信仰は、神の全ての預言者の導きの根源となっています。シュアラー章の第213節には次のようにあります。

 

「そこで[預言者よ、]神の他に別の崇拝の対象を崇めてはならない。そうすれば、責め苦を受ける者になるだろう」

 

その後、コーランは預言者の計画の別の段階に触れ、第215節で次のように語っています。

 

「また、汝に近い親類縁者に警告を与えよ」

このように、神は預言者に対し、親類縁者の多神教信仰や神の命への反抗をやめさせるよう求めています。その次の段階では、より広い範囲の人々に注目し、第215節と216節で次のように語っています。

 

「そして汝に追従する敬虔な人々のために、その翼を広げなさい。それからもし彼らが汝に逆らうのならば、言え、『私はあなた方が行うことを嫌悪する』と」

 

コーランはこの後、預言者に対し、慈悲深い神を頼るよう求め、このように語っています。「人々に反対されたとしても、くじけてはならない、あなたの信者の数の少なさによって、その鉄のような意志を揺さぶられてはならない。汝が拠り所とすべきところは、失敗のない慈悲深い神である」

 

シュアラー章の終わりで、神は、「コーランは悪魔の吹き込みだ」とする多神教徒の主張に強い回答を与え、第221節と222節でこのように語っています。

 

「悪魔が誰に下るのか、あなた方に知らせようか?嘘をつく罪人に下るのである」

 

悪魔の吹き込みには明らかなしるしがあります。悪魔は何かを壊す存在です。そしてその吹き込みも、堕落や破壊へと導くものです。悪魔に好まれるのは、罪を犯し、嘘をつく人です。明らかに、それらのいずれも、コーランやそれをもたらすものには当てはまりません。また、コーランの内容も、唯一神の信仰、真理、公正と人類の改革を呼びかけるものです。そのため、悪魔の吹き込みとはなりえません。

 

「預言者は詩人である」、これも、多神教徒たちが預言者に対して浴びせていた誹謗中傷です。しかし、コーランは詩とは似ても似つかないものです。その韻律やリズム、内容のどちらをとってもです。しかし、コーランの心地よい節は、人々にとって非常に魅力的であるため、反対者たちは真理を覆いかくし、人々をコーランから遠ざけるために、時に、それを魔術と呼んだり、詩だと言ったりしていました。コーランは、預言者のやり方を詩のやり方とは切り離しています。ここで言う詩人とは、目的もなく空想しながら詩を読む者のことです。

 

ここで申し上げておかなければならないのは、詩人たち、それもアラビア半島のヒジャーズ地方の詩人たちの多くが、詩的な比喩に囚われていたことです。彼らの詩は、多くが、美しい女性をや無明時代の誇りを称賛したり、いろいろな者たちを悪く言ったり、ほめたりといったものでした。もし誰かに気に入られたければ、その人を称え、もし誰かに対して苦々しい思いを抱いていれば、その人を攻撃して嘲笑していました。こうした詩人たちは、その才能や技術を、人々を迷わせ、圧制者に仕えるために使っていました。そして、行動を伴わずに、ただ言葉を発するだけでした。しかし、神の預言者は、決してそのような特徴を持っていませんでした。預言者は社会の現実と向き合い、全ての人を、幸福の道に導こうと努めていました。そして預言者の敵でさえ、彼の強い意志や驚くべき抵抗を称賛していました。このように、詩人と預言者は、似ても似つかぬものなのです。

 

とはいえ、詩人たちの中にも、清らかで目的を持った人々がおり、彼らは人々を正しさと清らかさに導いています。コーランは、真理を守るために、このような、信仰を持った誠実な芸術家たちを称賛するために、彼らを他の人たちとは切り離し、次のように語っています。「信仰を寄せ、相応しい行いをした人々を除いては」。 このようなグループの詩人たちは、詩の中で、より高い目標を追求し、ただの詩的な空想に陥らない人々です。彼らは神のことを常に考え、その詩の中でも、人々に神のことを想い起こさせます。このような詩人たちは、圧制を受けたとき、自分と敬虔な人々を守るために立ち上がり、詩によって、虐げられた人々を守ります。

 

シュアラー章は、敵に対する意味の深い次のような警告の言葉で終わります。

「圧制を行った者たちは、まもなく、どこが彼らの帰りどころであるかを知ることになる」