11月 01, 2016 16:00 Asia/Tokyo
  • 神の唯一性と属性

神の唯一性と属性についてお話しながら、神の属性を知ることによる影響についてもお話しすることにいたしましょう。

これまで数回の番組で、様々な論拠に基づき、神の存在の理由に関してお話してきました。その後、神の属性についてもお話しました。神の唯一性は神の最も重要な属性の一つで、イスラムの世界観はそれに基づいています。実際、イスラム教の信条の、第一のもっとも重要な原則は神の唯一性です。唯一神の原則は、世界を創造した神は唯一の存在であり、それに類するものは存在しないという真理に基づいています。この世界は広く、すべての世界の現象は神の力によって創造されており、神の英知によって運営されています。すべての存在物は神を必要としますが、神は何物も必要としません。

 

世界を占める正確なシステムについて熟考するとき、不思議な統一や調和を目にすることができます。世界には一つの英知が流れており、世界に秩序を与えています。世界の統治や調和、そして混乱や無秩序の不在は、世界の輪を回している神の存在を物語っています。もし複数の神が世界の運営を行っていたとしたら、世界は腐敗や無秩序、混乱に巻き込まれていたでしょう。なぜなら、それらの各々が他の領域にも影響を及ぼし、その結果世界は混乱に直面してしまうからです。

 

その一方で、唯一神の見方によれば、生命のシステムは善や慈愛に基づき、存在物はそれにふさわしいレベルに達するとされています。すべての世界の存在物は定められた目的に向かって動き、創造主は無駄な存在物を創造していません。

 

唯一神の世界観に基づき、どんなものも英知や利点なくして創造されていません。神は世界のシステムを最良の形に、そして存在物にふさわしい方法で創造しています。そしてその中には不足や欠陥は見当たりません。ここでシーア派初代イマーム、アリーの言葉をお伝えしましょう。

 

「至高なる神は、すべての創造物を明らかな基準と秩序に基づいて、それぞれに見合った特別な大きさによって創造し、それらを滅びることなく、確固としたものにした。あらゆるものを正確な計画によって、よりより形に設計し、秩序や優美さを与え、それらを特別な義務や目的に向かって進むように導いた」

 

生命のシステムは、目的を持ち、基準に沿った集合体であり、神の創造物はそれに応じた完成度を手にしています。人間もまた、目的を持って創造され、完成に向かうために必要な能力が授けられています。人間は神の敬意を受け、神の代理人にふさわしいものと見なされています。さらに人間は万物の霊長と呼ばれています。人間はその地位に注目すると、創造物の中で最も優れた地位を有しています。

 

人間もまた、動植物と同じように生きており、成長します。人間の気高さにつながり、人間を他の創造物に優るとしているものは、人間には高い理解力、知力、話す力があるということです。人間は知力によって出来事を分析し、その関係を見出します。人間は思考によって、広い世界を自分のものにすることができます。なぜなら神は天と地にあるものを人間のために作り、人間が完成や幸福に至る下地を整えているからです。

 

コーラン第31章ログマーン章、ルクマーン、第20節には次のようにあります。

「神が天にあるもの、地にあるものをあなた方が征服するために創り、明らかな、また隠れた恩恵をあなた方に授けたのを知らないのか」

また第51章ザーリヤート章、撒き散らすもの、第56節は人間の創造の目的は神を崇拝させるためだとし、このように述べています。

「私を崇拝させるためにジンと人間を創った」

 

明らかに、神を崇拝するためには神を知ることが必要です。実際、神を知り、崇拝することで、人間は真の幸福を手にするのです。とはいえ、物事の極致に至るために、人間は導きの計画を必要としており、神はこの道を預言者を通じて人間に示しています。唯一神信仰によれば、神もまた生命の世界を支配し、人間の行動を監視しているのです。これにより、人間は世界の全能なる統治者に対し責務を負っているのです。

一方でこうした世界観において、人間はこの世の生活や享楽、あるいは苦しみや悲しみだけに制限されることはありません。唯一の神を信じている人々の見かたでは、世界はそこに留まるものではなく、通過するための交差点のようなものです。良好な地点に至るための橋であり、世界は試練や努力の場であり、その中では人間の正しさや相応しさが試されているのです。

 

神の属性への信仰は、人間の言動や性質において肯定的な役割を果たしています。明らかに神を知り、それが自分を支える絶対的な力であると理解し、それを信じる人は不安から解放され、真の安定を得ます。このような人は不穏や辛い状況にもつぶれることなく、障害や問題も恐れず、神への信仰から湧き出た確固たる決意で、目的に至るために努力します。というのも自分自身を全世界を支配する偉大な力が支えていると考えているからです。

 

自分自身が明敏な神によって見守られていると見なす人は、この無限の世界において自らが見捨てられ放っておかれているとは考えません。神を信じる人間は創造の体制を肯定的に見ており、決して希望を失いません。唯一神信仰は、生命の起源に対する愛情の源であり、この愛情は人間を前向きな努力に向かわせます。言い換えれば、唯一神信仰者の世界観は、プラス思考をもち、これが彼をふさわしい行いへと導き、好ましくない行いを避けることになります。解放された人間は神だけを栄誉の所有者と見なすため、精神的な栄誉を授けられ、栄誉を神だけに請い、あちこちに頭を下げることはないのです。

 

唯一神信仰の人間は、神は世界の基本的な所有者であり、もし人間に授けられた恩恵がしばらくの間奪われるようなことがあれば、それは欲望を浄化させ、人間を鍛えるためだと考えます。信者の人生の不足と困難を様々な形で補うのは英知ある慈悲深い神です。人間は偉大な神が約束によって、来世において、正しきものに報酬を与えると考えています。それは尽きることのない報酬であり、この世の恩恵とは比べ物になりません。

人間は常に、精神的な病に直面しがちです。精神的な病は、人を悩ませるトゲのように人間の精神を蝕んで行き、人間を進歩や向上から遠ざけます。明らかに心の道徳的な卑しさを浄化させる方法の一つは神の属性について考えることです。コーランもまた人間の思考的、道徳的逸脱を正しています。

 

コーラン第10章ユーヌス章、ヨナ、第57節には次のようにあります。

「人々よ、神からあなた方に助言が下された。それは胸の中にある(信条や道徳の病を)癒し、信者にとっての導きであり慈悲である」

 

嫉妬や欲望の病にかかった人々がいたとします。もしその人が唯一神の教えに基づいて、他の仲間が富や地位、財産を持つことに執着していることを理解するなら、それは神への慈悲深さに注目していることになります。なぜなら神を世界における真実の源としてみているからです。コーラン第35章ファーテル章、創造者、第2節にはこのようにあります。

「神が人々の前に開くあらゆる慈悲は、阻まれることはない。また神が阻むものは、神以外誰ももたらすことはできない。彼は敬愛すべき、英知ある存在であられる」

 

明らかに、神の属性を身につけることは、人間の生き方やその内容を変えるものです。慈愛と言った神の属性に注目する人は、心の中に慈愛の芽を育てます。あるいは神を英知ある存在と見る人は神の前にある世界を目にし、神が自分を見守ってくれていると感じることから、罪から離れます。神の属性の中に、欠点を包み込む、というものがあります。神は僕の醜い好ましくない行いを慈愛によって覆い隠します。私たちも慈悲深い神のように他人の欠点を包み込み、彼らが間違いを起こさないようにすべきです。いずれにせよ神の属性のそれぞれは美しく、賞賛すべきものであり、人間にとって非常に重要な影響をもっています。