1月 22, 2017 16:27 Asia/Tokyo
  • セルジューク朝時代のイランにおける衣服

今日、人文学者や社会学者の間で、服飾は大きな重要性を有しており、各民族の信条、慣習、伝統、起源から生まれた様々な衣服に秘められたメッセージに注目することは、彼らの研究において重視されています。

これまでの番組でお話したように、イラン人の衣服は、これまでの歴史の中で、あらゆる政治的、社会的な変化と共に、大きく変化すると同時に、歴史的、文化的な伝統と共に、美学的原則を守ってきました。

 

イスラムがイランに入り、人々の宗教が変わり、新たな統治体制が生まれたことで、服装にも変化が見られました。とはいえ、それまでの下地は残されていました。セルジューク朝は、イランの王朝ですが、トルコ系の王朝で、11世紀から12世紀にかけて、西アジアとイランの広大な地域を支配していました。今回のこの時間は、この時代のイランにおける衣服についてお話しすることにいたしましょう。

 

帷子は、男性の衣服として11世紀にも使用されていました。当時の壁画にも、それが見られます。ガズニー朝の宮殿の柱は、貴族の壮麗さを示す絵画や碑文で装飾されています。これらの絵画は、分厚い布の上着を着た60人の貴族を示しています。この衣服は、錦の服の上に着られ、腕の上部には縁取りがつけられていました。

 

この時代の絵画から分かる衣服の特徴のひとつは、縁取りの装飾が見られることです。それは、イスラム初期、有力者の衣服の腕や胸に見られたもので、その上には個人の名前が記されたり、祈祷の文が縫い付けられることもありました。それがセルジューク朝時代まで続いたため、この時代の絵画の一部に、それが見られます。また、帷子の回りには皮のベルトが締められ、そのベルトからは小さな品々が吊るされていました。またズボンは幅が広く、ブーツは丈の長いものでした。ポーランドのイラン学者は、このような衣服は、イスラム教徒の為政者から、重要な周辺国や同盟国へと贈られていたと考えています。帷子、ベルト、ブーツの特徴から、それらは中国、東トルキスタンから入ってきたと見られます。

 

 

12世紀の男女の衣服については、わずかに情報が残っているのみです。イラン西部ナハーヴァンドで発見されたベルトと銀の飾りは、イラン人の衣服やターバンが、イスラム以前から変わることなく使われていたことを示しています。それは、光沢のある陶器にも見られ、そこには、腕にバンドをまいた帷子が描かれています。これは、イランの初期の服装に似ています。幅の広い袖のついたマントは、それまでのイランでは見られていなかったようです。

 

12世紀から13世紀、セルジューク朝以降の衣服に関する情報は、比較的多くなっています。特に、高位な立場にあった男女の服装に関する情報は豊富で、金属や陶器製品の他、壁画や漆喰細工に見られる絵から、宮廷の人々の衣服の特徴を知ることができます。そこでは、昔からのスタイルと新しいスタイルの融合が見られます。

 

要職にあった男性の衣服の特徴は、ぴったりとした装飾のある帷子で、これは、右から左に斜めに閉じられれていました。イギリスのイラン学者、デイビッド・ライスは、この衣服を上着として紹介しています。また、ドイツのイラン学者、E.マイヤーは、上着を右前で着るのはトルコ人の特徴であり、反対に、左前できるのは、モンゴル人やタタール人の特徴だとしています。実際、右前にする着方は、イラン人の帷子の特徴で、サーサーン朝末期からイスラム初期まで、丈の長いブーツと共に用いられていました。同様の例は、中央アジアでも見られています。

 

トルコの王朝の時代、男性の服装は、袖が細いシャツとスカートというスタイルでした。このような衣服は、13世紀初頭に、アユーキーの物語詩に描かれ、さらに、当時の陶器の上にも見られます。それによれば、一切装飾がなく、腕にはその頃流行していた金の紐がつけられています。この紐は、たてに前から締められることもありました。また、肩の上に装飾として使用されることもあり、イラン西部の古代遺産、ターゲボスターンに見られる、サーサーン朝時代の衣装の装飾を思い起こさせるものとなっています。

 

これらにより、セルジューク朝の末からその後の時代の男性の衣服の特徴は、そのデザインにあったと言えます。陶器に見られる、点、あるいは三つの点によるデザインは、サーサーン朝時代の銀の器に描かれた衣服に見られるものです。また、唐草模様などの複雑な模様も見られています。

要職にあった男性は帽子を被っており、一部は、セルジューク朝のトルコ人を模倣したもの、一部は古い時代のスタイルを思い起こさせるものでした。ウマイヤ朝時代のイスラム教徒の男性の被り物を代表するターバンは、その時代にも、イラン人の高貴な男性たちによって使用されていました。ターバンは、シンプルな長い布で作られ、装飾があるものもありました。アラビア語圏では、時の経過と共に、頭に巻く布が多くなり、大きくなりましたが、イランではその後も、様々な種類のターバンが利用されていたことが分かっています

 

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