2月 07, 2017 17:33 Asia/Tokyo
  • 他人との建設的な関係作りに効果的な話し方

今回は、イスラムの聖典コーランの内容に触れながら、他人との建設的な関係作りの条件である、良い話し方について考えることにいたしましょう。

他人と顔をあわせた最初の瞬間に、挨拶をすることで健全で正しい言葉による関係を築くことになります。しかし、既によく知られているように、どのような言葉を使用しても、相手に何かしらの感情的な影響を与えることになります。このため、人間関係を築く力は非常に簡単なことのように捉えられがちですが、実はこのこと自体、1つの技術と見なされます。

言葉の一部は、他人との健全な関係作りに建設的な役割を果たし、親近感や友情を生み出す源となります。また、話し方も、言葉によるコミュニケーションを成立させる上で重要な鍵を握っています。美しくよい話し方をすることで、会話の相手が安心感や信頼感を抱くようになります。

 

コーランは、あらゆる言葉は綺麗な言葉と汚い言葉に分けています。コーランは、綺麗な言葉を、大地にしっかりと根を下ろし、大きな木陰を作り、青々とした葉や豊かな果実をつけた樹木に例えており、またそうした樹木の実は全ての人に利用されると言われています。これに対し、汚い言葉は地面から根こそぎにされ、全く何も実らない樹木に例えられています。これについて、コーラン第14章、イブラヒーム章、「アブラハム」第24節から26節には、次のように述べられています。

"あなたは、神が清らかな言葉をどのように例えているかについて知らなかったのか。それは、良き樹木のようなもので、その根はしっかりと安定し、その幹は天にまで延びる。創造主の許しにより、常に実を結ぶ。神は、人々に忠告するために比喩を使う。だが、悪い言葉を何かに例えるならば、それは害にまみれ、果実の実らない穢れた樹木に等しい。その根は地面から抜け、安定していない”

 

心理学によれば、コミュニケーションの際に醜い言葉を使うことは、例えそれが意図的であれ、またその人の無知によるものであれ、その人の人格が健全でないことを示すものとされています。

実際に、醜く汚い言葉を使うことで、コミュニケーションが長続きしなくなり、結果的に孤独感や不満を引き起こします。神は、コーラン第20章、ターハー章、「ターハー」第44節において、穏やかな良い話し方を心がけるよう強調しています。このため、預言者モーセがエジプトの暴君フィルアウンをいざなう際に、神はモーセとその兄のハールーンに対し、時の暴君フィルアウンのもとに赴き、穏やかな話し方や柔らかい言葉により、フィルアウンをいざなうよう求めています。ターハー章、第44節には次のように述べられています。

”そして、フィルアウンに静かな口調で話すがよい。おそらく、彼は訓戒を受け入れるか、または我を畏れるであろう”

こうした話し方により、利己主義的な支配者フィルアウンは、預言者ムーサーの謙虚で穏やかな語り口に適切な反応を示しました。そして、自らの辛らつな話し方で言葉のやり取りを遮断しなかったのみならず、もっと対話を続けたいという意向を示し、遂にはムーサーの主である神について質問してきたのです。

 

 

コーランの視点から見て、健全なコミュニケーションとは、言葉を交わす人の人格や名誉の尊重、そして相互尊重のもとになりたつとされています。そもそも、コミュニケーションは不可逆的なものであり、正しくない言葉遣いによるコミュニケーションが、後で取り返しのつかない問題を引き起こす可能性があります。このため、コーランは、後先のことを考えて、最もよい、正しい言葉を選んで使うよう求めています。

コーラン第17章、アル・イスラー章、「夜の旅」、第53節には、次のように述べられています。

“我らの僕たちに、よりよい言葉を発するよう告げるがよい。なぜなら、悪魔は彼らの仲を壊すからである。誠に、悪魔は人間にとっての明らかな敵である”

礼儀を守り、相手に敬意を払うことも、コミュニケーションにおける重要な要素の1つです。敬意ある態度を崩すと、その人の人格が歪められ、また相手は話の内容が正しいが、受け入れがたいと感じます。コーラン第6章、アル・アンアーム章、「家畜」第108節では、信仰心に目覚めた人々に対し、汚い言葉の使用を控えるよう呼びかけるとともに、次のように述べています。

“あなた方は、神を信じない人々や、神以外のものを崇拝し褒め称え、敬意の対象に据えている人々をそしってはならない。なぜなら、彼らにも敵意や無知のために、みだりに神を謗らせないようにするためである”

最高の話し方のマナーの1つは、美しい言葉を使い穏やかに話すことです。私たちは、バランスある建設的な対話を開始することで、相手に安心して私たちの話を聞いてもらい、相手への理解や共感をもって対話に臨んでいることを確信してもらう必要があります。コーラン第31章、ログマーン章、「ルクマーン』第19節では、イスラム教徒に対し、この価値ある美徳を守るよう呼びかけると共に、高慢にけたたましく話す人の声を、ロバの声に例えています。

"歩くときには中庸の道をとるがよい。そして、穏やかに話しなさい。誠に、声の中で最もいとわしいものはロバの声である”

 

コーランはまた、適切で清らかな言葉とは、よく考えられた確かな言葉だとして、第33章、アル・アハザーブ章、「部族同盟」第70節において、次のように述べています。

”実直な言葉で、ものを言うがよい” 実直な言葉とは、偽りなどを遠ざけ、真理に賛同する言葉を意味します。

イランの臨床心理学の専門家であるセイエド・メフディ・ミールシャファー博士は、コミュニケーションや話すことの基盤が、相手の話に注目し、耳を傾けることであるとしています。これは、いわば1つの技術でもあり、これについて彼は次のように述べています。

「私たちは、自分の心の中に抱いている事柄を、よい形で相手に伝えられるようでなければならない。私たちは誠実である必要がある。複雑な言い方やうわべだけの言葉は避け、話す際には、相手の目を見て相手の状態に注目する必要がある。時には、話の合間に沈黙することも必要になる。沈黙することは、それだけで非常に大きな効果があり、相手に訴えかける力がある」