ストレス対処法
今回は、イスラムの聖典コーランに述べられている、ストレスへの対処法についてお話することにいたしましょう。
WHO・世界保健機関が注目している、生きるための技術の1つは、ストレスへの対処です。ストレスは、日常生活の現実であり、私たちの生活は山坂のある道のようなもので、多くの場合において人間は精神的な苦痛や困難に遭遇しています。実生活の様々な場合において、問題をうまく制御し、それらの適切な対処法を見出さなければ、私たちはストレスに巻き込まれてしまいます。ストレスは、人間と環境の双方に影響を及ぼします。
一部の人は、ストレスに遭遇したときに、自分をマイナスに捉えてしまい、自分の持つ手腕を過小評価してしまうことから、自分に自信が持てず、緊張して、うつ状態に落ち込んでしまいます。このことは、苛立ちや不適切な行動となって現れます。こうした感情は、時には頭痛や胃のトラブル、不眠症、胃潰瘍、血圧の上昇、心臓疾患や脳卒中といった問題につながることもあります。
もっとも、ストレスはマイナス的な要素のみを包含するのではなく、場合によっては結婚や子どもができること、新たな職業など、プラスの要素も一種のストレスを生み出す要因になりえます。大切なことは、緊張やストレスを生み出す刺激の原因とうまく折り合うための方法が存在することなのです。
ハンガリー系カナダ人の生理学者ハンス・セリエは、実生活にはある程度のストレスが必要であるとし、次のように述べています。
「ストレスは、生活上の醍醐味をもたらすものである。ストレスの要因を全て未然に防ぐことは不可能であると同時に、ストレスが全くないと生活がマンネリ化し無味乾燥なものとなってしまう。大切なことは、精神的なプレッシャーやストレスに対処する能力である。中には、たとえプラスのものであったとしても、些細な変化に対し、ストレスを感じて興奮する人がいる。また、一部の人は、病気や近親者の死去、身柄の拘束や拷問といった苦難を受けたあとも、穏やかに生活を送ることができる。困難への対処におけるこうした人々の大きな長所は、生活上の様々な問題を楽観的に処理できること、そして信仰心である」
いくつかの研究調査から、宗教信仰や信仰心が悪魔のささやきや緊張、ストレスから人間を守る上で最も大きな効果があることが分かっています。今日、精神科医は精神病の患者の治療に当たって、まず患者の宗教的な基盤を強化することを重視しており、薬物は表面的、一時的な助けにしかならないことから、補助的に使用するのみにとどめるべきだとしています。
アメリカのデューク大学で行われた調査では、定期的に宗教儀式に参加する人々は、宗教儀式に関心のない人々に比べて、健康の度合いがより高かったという結果が出ています。また、アメリカ・ジョージタウン大学医学部のデール・マシューズ教授は、『信仰心の要素』という著作において、次のように述べています。
「習慣としてキリスト教会に足を運ぶことは、健康増進の要素の1つとされている」
これらの調査の結果は、精神性や神の存在との強い関係が健康につながるとともに、宗教的な行為や信仰心が実質的な健康の要素と見なされていることを示しています。
イスラムの聖典コーランは多くの場合において、心に信仰心の光がともった人々は、現世において良いことや正しいことだけが見え、創造世界を善良な体制と見なし、全知全能の神が目的をもって現世を創造し、自らの創造物のために善良さや美しさ以外のものを好まない、として神を賞賛していることを述べています。この筋道に照らし、一部の不快な現象や不足は解決、或いは容認できる範囲のものとなります。これについて、コーラン第2章、アル・バガラ章「雌牛」、第156節では次のように述べられています。
”信心深い人々は、逆境に置かれたときに、自分たちが神の僕であり、自分たちがいずれは神のもとに帰っていくことに注目している”
ストレスを生み出す要因の1つに、恐怖心があります。恐怖心から生じるストレスに対処するための数多くの方法の中でも、宗教信仰はストレスを生み出す状況に対処する上で大きな役割を果たしています。コーランでは、イスラムの教えのもとで育成される人々は、生活上の様々なストレスから守られているとされています。即ち、絶対的な力の拠り所である神に依拠し、神以外のほかの力には効力がないと考える人は、何物をも恐れないのです。これについて、コーラン第5章、アル・マーイダ章、「食卓」第69節では次のように述べられています。
”唯一神への信仰心に目覚め、正しい行いをする人には、恐怖心がなく、また悲嘆にくれることもない”
精神医学の専門家は、ストレスの弊害を緩和する上で、私たちが必要としていることは変化を生じさせるための努力、ストレス源から離れること、あるいはそのストレス源に対する反応方法の転換であると考えており、セラピストとしての手腕を駆使し、ある種の解決法や技を提示しています。そうした解決法には、次のようなものがあります。
時には失敗や敗北を経験すること、そして「もうどうしようもない」といった否定的な考え方ではなく、プラス思考を心がけることです。自分の潜在意識について調べれば、常に自分につきまとってくる悲しみやうつ状態をもたらす物事の見方を修正できます。そして、快活に生活すること。即ち自分にとって無意味と思われる事柄を冗談として受け止めることです。さらに、自分という人間が非常に特別な生き物であり、自分に対して最もよい行動をする資格があることに留意したいものです。
宗教の教えは、こうした事柄の実行を強調するとともに、神経的なストレスを解消する上で神を思い起こすこと、忍耐強さや禁欲さを身につけ、良い行いをすること、といった神からの命令を実行することが大切だとしています。こうした宗教的な信条を持つ人は、最も強い精神的な打撃に対しても、柳に風の論理で耐え忍ぶことができるのです。
その中でも、礼拝といった形で神との関係を結ぶことは、妥協や折り合いの最も重要なメカニズムとして知られ、人々の間で活用されています。最も単純な祈祷や礼拝さえも、神に執り成しや救いを求めるための精神的な行為とされています。礼拝は、神とのコミュニケーションをとり、精神を統一させるための手段の1つでもあります。これについて、アメリカの心理学者チャールズ・スチャーファーは、1992年に次のように述べています。
「神への賞賛は、緊張や不安を和らげ、楽観的な見方や希望を強めることが出来る。逆に、この方法が悪用された場合には、その人の他者への従属性が増し、それにより現実からの逃避、さらには疑念を抱くといった行為に走る可能性がある」
『天使の本』の作者であるソフィー・バーナム氏は、神を賞賛する方法の効果のほどについて、次のように述べています。
「注目を必要とする全ての考え事から、自らの意識を切り離し、自らにとって効果的な神の賞賛方法に気づくべきである。祈祷するときには、否定的な文句ではなく、プラスの表現を使うことが望ましい。なぜなら、自分の潜在意識は、否定的な言葉を識別できないからである。さらに重要なことは、何かを求めるために祈るのではなく、勇気や見識を高めるために祈ることである」
最後に、全ての技の筆頭として、コーラン第13章、ラアド章「雷電」第29節の教えを活用することを挙げ、今夜の番組を締めくくることにいたしましょう。この節には次のように述べられています。
“神を思い起こすことによってのみ、全ての人々の心は穏やかになる”