3月 06, 2017 16:21 Asia/Tokyo
  • イランの金属工芸
    イランの金属工芸

今回は、イランをはじめとする世界の金属工芸についてお話しすることにいたしましょう。

遺跡から発掘された様々な金属工芸を考古学的に検討してみると、有史時代は金属工芸が開花した時代と見ることができます。なぜなら、金属の多様性と美しい模様やデザインの使用は、この芸術に新たな豊かさを与えてきたからです。古代イランの最も明らかで重要な芸術作品もまた、金、銀、銅の特別なレリーフを伴う作品となっています。器、武器、装飾品などがそうです。金属工芸について知るためにまずはじめに、イランでの金属の利用の歴史についてお話しすることにいたしましょう。

 

金属工芸は、金属に形を与えて道具や装飾品を作る工芸です。金属の使用は、人間の現代の文明や科学の大部分を構成しています。考古学的調査が示しているのは、古代、そして金属器時代には陶器がまだ金属よりも高い地位を占めていましたが、次第に人間は溶解可能であることや耐久性など金属の様々な特性を理解し、金属を使用するようになったということです。狩猟などの道具を作る際にも、動物の骨や石、木、陶器の代わりに金属が使われるようになりました。

 

金属は、衝撃に強く、変形しにくいことから、科学、歴史、考古学の研究における最も重要な拠り所として、利用することができます。人間が初めて、どのようにして鉄鉱石を発見し、溶かし、鉄という金属を手にしたのかについては明らかではありませんが、鉄は5000年前に人類に使用され、伝説的な装飾品として、受け入れられてきたことが分かっています。

 

古代エジプト人は鉄を「楽園の金属」と呼んでいました。アッシリア人、バビロニア人、ユダヤ人などは鉄が高価なものであったことから、それを装飾品を作る際に使用してきました。紀元前1700年のハンムラビ王の時代には、鉄は銀の8倍、金の4分の3の価値がありました。紀元前およそ1000年から1200年には、鉄は多くが武器や道具を作るための原料とされ、青銅は器や花瓶、装飾品を作るのに使用されていました。

サーサーン朝の金属工芸

 

銅が使用された歴史に関しては異なった見解が存在します。あるグループはその使用は紀元前2万年に遡るとし、また別のグループは紀元前1万2千年のエジプトに関連付けています。また別のグループは紀元前9000年のイランの最初の住人が最初に鉄を融解し、銅を使用した人たちだとしています。こうした中、多くの考古学者が、イランの最初の住民によって銅が発掘され、鋳造されたとしています。

 

イランではアケメネス朝時代に器や武器、個人の装飾品を作るために金銀や青銅、鉄が使用されていました。当時の各種の品々や装飾品が多く残されています。飲み物を飲む器や金属片で作られた衣装の飾り、動物の形をした金属製品などです。この時代の最も有名な品の一つに、動物の形が施された器があります。この器は円錐形で、吼える獅子を模しています。吼える獅子は、アケメネス朝時代の装飾芸術の一つです。この器は、はんだ付けが施されており、前方がラッパのような形をしていました。

 

イラン、メソポタミア、ギリシャ、ローマでは古代、一般に幾つかの金属が知られており、日常生活で人々に使用されていました。これらの金属には、銅、金、銀、鉄、青銅、鉛、プラチナなどが含まれていました。イランの職人や商人は紀元前300年から200年、現在のドイツのケルンにあったコロニアルで武器や鉄の道具を売っていました。

 

紀元前1000年期の後半、アケメネス朝政府の成立により、その埋もれていた鉱山資源の活用が拡大し、銅や金、銀、鉛、亜鉛などが最大限に採掘されました。イラン人はこの時代、鋼を作るために鉄を使用しており、戦争のための兵器や橋を作っていました。その後これらの橋はタールが塗られ、今もさびることなく残っています。さらにペルセポリスやパーサールガードと言った建物を強固なものにするためにも鉄と鉛が使われていました。この時代には金と銀も多く使用されていました。

 

考古学的な資料によれば、イランの中部、東部、北部は金属工芸の最古の歴史を有しています。ヨーロッパでは新石器時代は紀元前4000年期まで続きましたが、イランでは紀元前7000年期の終わりに、新石器時代から金属器時代に移行したと考えられています。ザグロス山脈やアルボルズ山脈の麓から、ヤズドの沙漠、ケルマーン、ゴム、カーシャーン、ホラーサーン、さらにはバローチスターンの山々の麓までの地域で、金属を溶かす古い窯が見つかっており、これは鉱物から金属を作り出すイラン人の熟練を表しています。さらに、インド・ヨーロッパ語族の言葉で金属を意味するaiosという言葉は、インド・ヨーロッパ語族の文明が移住前に金属器時代に入っていたことを示すものです。

 

紀元前3000年期の開始から、シュメール人、バビロニア人、エラム人の王国時代に書かれたものの中に、鉱工業や商業におけるイラン人の繁栄について多くの記述が見られます。この工業の中心地では金属器や陶器は多く繁栄しており、工房においてはメノウ、ラピスラズリ、トルコ石などが製造されており、金属と組み合わせた後、芸術的に価値のある製品が生み出されていました。

 

イランでの青銅器時代の開始は、紀元前2000年にあたります。青銅の発見により、多くの金属器が作られ、原料の需要も高まりました。おそらく、イラン中部のマルキャズィー州のシャーザンドのそばにあるデ・ホセイン鉱山はその当時知られた鉱山だったと見られています。西暦1000年から2000年の間には、鉄もイランで使用されていました。戦争や農業での鉄の一般的な使用は、紀元後1000年の間に商業の状況を変化させました。というのもこの商売は銅や銅を組み合わせた金属の売買に基づいていたからです。

 

サーサーン朝時代には、鉛、亜鉛、銅、金、鉄が多く使用され、考古学的な発掘から見つかった金属器は、ほとんどがこの時代のものとなっています。世界の大博物館に所蔵されているイランの古い金属器の中には、サーサーン朝時代のものが多くあります。これらの品々の多くが銀製品で、その上には様々な人間の様子が映し出されています。

古代イランの金属工芸

 

イランにイスラム教が入ってきた後、鉱山の活動は衰退しましたが、イスラムルネッサンス期と呼ばれる9世紀から10世紀には、鉱物の採掘、金属産業が再び繁栄しました、サファヴィー朝時代には、鉱脈からの採掘が広まり、鉄、金、銀が多く採掘されました。ガージャール朝時代にはとくにアミールキャビールの時代、金山の活用に向けた措置がとられました。

 

20世紀には、鉄や銅を溶解する工場地帯が建設され、工業におけるこの金属の役割は日ごとに高まりました。しかし工業の成長はイランの伝統工芸における金属の使用や芸術の繁栄を妨げることはありませんでした。更紗、銀製品、エナメル細工などの芸術は、イランで遠い昔から金属を使用することで行われ、今もそれぞれの分野でイランの職人たちの作る品々が国内外の市場に供給されています。次回は金属工芸について詳しくお話しすることにいたしましょう。

 

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