神の預言者たちの特徴(3)
今週も前回に引き続き、神の預言者たちの特徴についてお話しましょう。
前回の番組でお話したように、預言者の教えを見てみると、彼らが人類にもたらしたものは、神の言葉であり、人類の能力を源にしたものではないということが明らかになります。預言者たちの教えや彼らの思想、考え方を注意深く見れば、あれほど包括的で正しい真理の提示は、人間の能力では不可能であることが確信できるでしょう。また、真剣さ、意見が確かで揺るぎないこと、矛盾がないことは、神の預言者たちに共通する特徴でした。
神の預言者たちの教えに結びつきがあることも、前回の番組でお話しした特徴でした。神の預言者たちは、様々な土地や民族の間から生まれたにも拘わらず、同じメッセージを有しています。彼ら自身が認めているように、一連の預言者たちは皆、ゆるぎない結びつきを持っており、前の預言者の存在を認めています。また、自分の後にくる預言者を認め、その誕生を知らせています。彼らはこのようにして、神の預言者の輪、結びつきを宣言しているのです。
神の預言者たちの特徴の一つは、彼らが忍耐強さと強固な意志を持っていることです。彼らは、自分たちの使命を果たし、敵の様々な陰謀に対抗する中で、類まれなる忍耐と抵抗力を持っていました。実際、忍耐力は、全ての神の預言者が備えているべき性質の一つです。とはいえ、忍耐力とは、堕落者や圧制者に対する沈黙を意味するのではありません。忍耐とは、目的を果たすために苦難に耐えることで、それがなければ、崇高な理想を実現することはできません。神は、コーラン第6章アル・アンアーム章家畜、第34節で、神の預言者たちの特徴について次のように語っています。
「汝以前にも、彼らは預言者たちを否定した。そうした否定を預言者たちは耐え忍んだ。[その道において]苦しめられたが、そのうち、我々の助けが彼らに届いた」
人々を導く中での預言者の忍耐は非常に重要であり、神はコーランの中で、19回も、預言者に忍耐強くあるようにと勧告しています。例えば、コーラン第46章アル・アフガーフ章砂丘、第35節で、神はイスラムの預言者ムハンマドに対し、聖典と宗教法を持つ預言者たちと同じように、宗教を広める道において忍耐強くあるようにと勧告しています。この節の一部には次のようにあります。
「そこで、耐え忍びなさい。聖典と宗教法を持つ預言者たちが耐え忍んだように」
このように、預言者の忍耐は類まれなるもので、その生涯は全て、忍耐と抵抗の教訓だったと言っても過言ではありません。預言者は生涯の中で、希望が完全に断ち切られるような状況に何度も陥りましたが、彼は成功を強く信じることによって、一瞬たりとも迷ったりはせず、失敗するかもしれないとは微塵も考えませんでした。
神の預言者たちの別の特徴は、彼らが妥協を許さず、断固とした態度を取っていたことです。神の預言者たちは、真理を非常に明らかなものと見なし、自分たちの宗教がわずかたりとも損なわれることを許しませんでした。彼らはその導きの中で、いかなるときも、原則を見逃すことはありませんでした。イスラムの預言者ムハンマドの人生では、そのことが明らかに見て取れます。ある日、クライシュ族の人々が、預言者に自分たちの神々を崇拝してもらい、彼ら自身もまた、預言者の神を崇拝するために預言者を招きました。そのような提案を受け入れることは、宗教の原則に反するものでした。そのため、神の啓示が下り、クライシュ族のこのような申し出に対して次のような答えが出されました。これは、コーラン第109章アル・カーフェルーン章不信心者たち、第1節と2節にあります。
「言え、『不信心者たちよ、あなた方が崇拝するものを私は崇拝しない』」
また、イスラムの歴史の中では、次のように伝えられています。ターエフの人々の集団がやって来て、イスラムの預言者ムハンマドに対し、平和的な方法を取ろうとしました。彼らの条件とは、平和協定を結び、それに基づいて、ターエフの人々がイスラムを受け入れた後は何をしても自由だというものでした。例えば、礼拝を行わない、高い金利で金を貸す、彼らの偶像を祀ってある礼拝所を1年以上開けておく、などです。イスラムの預言者にとって、そのような条件を受け入れることは、自分がイスラムを広める任務を負っていた原則に違反することを意味していました。そのため、預言者はこの条件を受け入れず、この要求は、自分の使命や教えの基盤に反するものであることから、それに関して妥協することは不可能だということを理解させようとしました。
預言者ムハンマドは、高利で金を貸すことについて、コーラン第2章アルバガラ章雌牛、第278節を読み上げています。エ「信仰を寄せた人々よ。神[の命に背くこと]をやめなさい。また利息の残額を帳消しにしなさい。もし信仰を寄せているならば」
また、礼拝についても、次のように語っています。「礼拝を伴わない儀式は役に立たない」
イスラムの預言者ムハンマドが使命を授かった直後の数年間は、イスラム教徒の数はわずかでした。イスラムの預言者は、自分の部族の偉人たちを会合に集め、「私の宗教は世界的なものとなり、あなたたちの幸福は、私の導きを受け入れるか否かにかかっている」と宣言しました。人々は互いを見つめあい、何も言わずに解散しました。その後、預言者のおじのアブーターリブが、クライシュ族のメッセージを預言者に持ってきました。その内容は次のようなものでした。「ムハンマドを王様に選び、メッカで最も美しい娘を彼の嫁にし、彼を最も裕福な人間にする用意がある。ただし、その主張を捨てることだ」
預言者ムハンマドは、それに対して次のように答えています。「神に誓って、もし太陽を右手に、月を左手にしても、決して導きから手を引かないだろう」
神の全ての預言者は、義務の遂行において、先を見通す力、計画性と相談、忍耐力などの適した手段や能力を利用していましたが、どのような状態にあっても、それらの要素の影響力は、至高なる神の意志にかかっており、全てのことは、神の意志によって動いているということを忘れませんでした。そのため、彼らの人生で明らかな別の要素は、神を拠り所にしていたことです。それが意味するのは、世界の創造主である神に、全てのことを委ねているということです。それは、世界の出来事の原因を無視し、目に見えない世界から助けが現われるのを待つ、という意味ではありません。なぜなら、このようにして神に頼ることは、神の英知ある掟に反するからです。神の意志は、世界の全ての出来事が何らかの原因によって起こることを定めており、その原因を無視することは、神の意志に反することです。そのため、神の預言者たちは、賢明な措置や努力、通常の手段の利用と共に、神を拠り所としているのです。
過去の預言者たちの歴史には、預言者ヌーフが、常に、自分の民のために神の節を読み上げ、彼らを正しい道に導こうとしていたが、人々が頑なになって反抗し、欺瞞や陰謀を企てたため、彼らにいくつかの警告を与えたとあります。コーラン第10章ユーヌス章ヨナ、第71節には次のようにあります。
「ヌーフの運命を彼らに聞かせるがよい。彼が自分の民に言ったときのことを。『私の民よ、もし私があなた方の間に留まり、神の節によって忠告を与えることが、あなた方にとって困難であるならば、[好きなようにするがよい] 私は神を拠り所にしている』」
預言者ヌーフだけでなく、神の全ての預言者たちは、世界の創造主である神を拠り所としていました。コーランは、第14章イブラヒーム章アブラハム、第12節で、様々な民を導くために遣わした預言者について触れ、その後で次のように語っています。「その民は、預言者たちが彼らを先人たちの道から妨げたことを理由に、預言者に背を向け、彼らを否定した。それにも拘わらず、預言者たちは、唯一神信仰を広めるために、神を拠り所とし、言った。『神を拠り所としない理由はない。神は私たちを幸福の道へと導いてくださる。私たちは間違いなく、あなた方の嫌がらせに耐えるであろう。神を拠り所とする者は、神のみを頼るべきである』」
神の預言者たちの明らかな特徴の一つは、彼らが純粋な心を持っていたことです。この偉人たちの唯一の目的は、人類を神へと導くことでした。彼らは、自らの重大な役割に対して誰かに報奨を求めたりはしませんでした。コーランは、第26章シュアラー章詩人で、数人の預言者のたどった運命に触れています。とはいえ、どの預言者も、それぞれの社会の問題に合わせて、自分の民のために独自のメッセージを有していました。しかし、ヌーフ、フード、サーレハ、シュアイブなど、全ての預言者の言葉には共通性があります。それは、彼らが、「私は自分の使命に対して報奨を求めない。私の報奨は世界の創造主である神から受け取るものである」と言っていたことです。
イスラムの預言者ムハンマドも、自分の意志で、神の道を選んでほしいということ以外、人々に何かを期待することはありませんでした。これについて、コーラン第25章アル・フォルガーン章識別、第57節には次のようにあります。
「言え、『私はそれに対してあなた方に報奨を求めたりはしない。ただ、誰でも好きな者は、主へと向かってほしいだけである』」 とはいえ、預言者は別の節で、自分の使命の報奨は、預言者一門との友好であるとしています。コーラン第42章シュウラー章相談、第23節には次のようにあります。エ「[預言者よ、]言え、『その使命と引き換えに、あなた方に報奨を求めることはない。ただ、親しい人たちとの友好を除いては』」
明らかに、清らかな預言者一門との友好こそ、神と預言者たちの道が維持されてきた秘訣でしょう。
このようにして、神の預言者たちは、人々を真理、公正、正直さへと導く中で、行動における純粋さと清らかな目的を有していたのです。