光の彼方への旅立ち、ナムル章(2)
コーラン第27章 ナムル章 蟻 第6節~11節
慈悲深く慈愛あまねきアッラーの御名において
第6節
「[預言者よ、]汝は確かに、コーランを英明で全能の方から受け取っている」 (27:6)
وَإِنَّكَ لَتُلَقَّى الْقُرْآَنَ مِنْ لَدُنْ حَكِيمٍ عَلِيمٍ (6)
ナムル章は、コーランの偉大さと、敬虔な人々を幸福へと導く上でのコーランの役割について述べるところから始まっています。その後で、敬虔な人間の特徴と、最後の審判を信じない人々の運命に触れています。この章では、神の預言者たちの物語に入る前に、第6節でこのように語っています。「この天啓の書の知識は、神の英知からくるものである」 ここで言う知識とは、人間の利益と損失に対する神の無限の知識であり、人間を創造の目的へと近づけるような法や義務を説明する上での神の英知を指しています。
第6節の教え
・コーランは、神の英知と知識の具現です。啓示を受け取る預言者の知識も、神からのものであり、後天的なものではありません。
・宗教の戒律や指示は、神の知識を源にしています。私たちが知らなかったり、理解する方法を持っていなかったりしたとしても、宗教の戒律のそれぞれには、英知や理由が隠されています。
第7節~第9節
「[想い起こすがよい。]ムーサーは家族に向かって言った。『私は[遠くに]火を見た。[あなた方はここに留まっていなさい。]私はすぐにあなた方のためにそこから情報を持ってくるだろう。あるいは炎を持ってきて、あなた方が体を暖められるかもしれない』 」 (27:7)
إِذْ قَالَ مُوسَى لِأَهْلِهِ إِنِّي آَنَسْتُ نَارًا سَآَتِيكُمْ مِنْهَا بِخَبَرٍ أَوْ آَتِيكُمْ بِشِهَابٍ قَبَسٍ لَعَلَّكُمْ تَصْطَلُونَ (7)
「『こうして[ムーサーが]そこに着いたとき、声が下った。『火の中とその周りにいる者に祝福あれ。世界の創造主である神は無謬である。』」 (27:8)
فَلَمَّا جَاءَهَا نُودِيَ أَنْ بُورِكَ مَنْ فِي النَّارِ وَمَنْ حَوْلَهَا وَسُبْحَانَ اللَّهِ رَبِّ الْعَالَمِينَ (8)
「『ムーサーよ、まことに私こそ、英明で全能の神である』」 (27: 9)
يَا مُوسَى إِنَّهُ أَنَا اللَّهُ الْعَزِيزُ الْحَكِيمُ (9)
ナムル章では、神の偉大なる5人の預言者とその民たちの運命が述べられています。最初に出てくるのは、ムーサーが預言者とされたときのことです。言い伝えにはこのようにあります。預言者ムーサーが家族と共に、預言者シュアイブのもとからエジプトへと向かっていたとき、夜道で迷ってしまい、嵐の中、寒さと風に悩まされていました。ムーサーは、家族を守る方法を探していましたが、そのとき突然、遠くに燃える炎をみとめました。そこでムーサーは考えました。「きっと、あそこには火を起こした人々がいるに違いない。彼らに助けを求めるか、少なくとも案内を頼めるかもしれない」 しかしムーサーは、家族をそこまで一緒に連れて行くことはできませんでした。なぜなら、火の周りにいる人々が盗賊である可能性もあったからです。そのため、ムーサーは家族に言いました。「私が戻ってくるまで、個々に留まっていなさい。私たちに道が示される知らせを持ってくるか、少なくとも、この寒さから救われるようにあの火から炎を持ってくることができるかもしれない」 しかし、預言者ムーサーが炎の場所に着いたとき、そこには誰もいませんでした。そこでムーサーは非常に奇妙な場面を目にしました。炎は、緑が茂った木の間で燃えており、あらゆる方向に広がっていたのです。そして一つの炎がムーサーのもとに近づいて来ました。ムーサーは驚いて後ろに下がりました。そのとき、声が聞こえました。「ムーサーよ、怖がることはない。私は全能の神である。あなたを預言者に任命する。この炎は私の力のしるしであり、あなたを燃やすこともなく、あの緑の木を燃やすこともない。そしてその中、あるいはその周りにいる者は誰でも、私に守られている」
第7節~9節の教え
・神の預言者たちは、他の人々と同じように普通の生活を送っていました。ムーサーも、家族のニーズを満たすために努力していました。ムーサーが神から預言者に任命されたのは、そのような時でした。
・神がお望みになれば、火でさえ、物を燃やす力を失い、危険なものではなくなります。預言者イブラヒームが火の中に投げ込まれたとき、彼は燃えることなく無事でした。
第10節~第11節
「杖を投げなさい。[ムーサーは杖を投げた。]それから彼はそれが蛇のように動き回るのを見ると、それに背を向けて逃げ出し、戻ることもなかった。[我々は彼に言った。]『ムーサーよ、恐れることはない。預言者たちは私の前で恐れたりはしない。』」 (27:10)
وَأَلْقِ عَصَاكَ فَلَمَّا رَآَهَا تَهْتَزُّ كَأَنَّهَا جَانٌّ وَلَّى مُدْبِرًا وَلَمْ يُعَقِّبْ يَا مُوسَى لَا تَخَفْ إِنِّي لَا يَخَافُ لَدَيَّ الْمُرْسَلُونَ (10)
「『ただし、圧制を行う者は別である。だが悪を行った後でも、代わりに善を行えば、まことに私は寛容で慈悲深い者である』」 (27:11)
إِلَّا مَنْ ظَلَمَ ثُمَّ بَدَّلَ حُسْنًا بَعْدَ سُوءٍ فَإِنِّي غَفُورٌ رَحِيمٌ (11)
当然のことながら、あの叫びを聞き、害のない炎を目にし、ムーサーは、自分が見たり聞いたりしたことが、神の行いや言葉であることをどうして信じることができようか、と疑いを抱いていました。そのため神は、ムーサーに持っている杖を地面に投げなさいと指示したのです。ムーサーが言われた通りにすると、突然、小さな蛇が現われ、ムーサーに向かって来ました。ムーサーは恐怖から逃げ出しました。なぜなら、そのような奇妙な場面を目にするなどとは、思ってもいなかったからです。そのとき、声が聞こえました。「ムーサーよ、これはあなたが預言者に選ばれたことのしるしである。あなたは今、預言者としての使命を授かった。あなたが見たものは奇跡であり、あなたが聞いてることが、悪魔の囁きなどではなく、神の呼び声であることを確信させるためのものである。また、あなたはこれらの奇跡を人々に示すことで、自分が神から遣わされた預言者であること、魔術師ではないことを彼らに確信させるのだ。ムーサーよ、私たちの御許は安全で安らぎがあり、そこでは恐怖や不安が意味を持たない。恐れを抱くべきなのは、自分と他人に圧制を行う者である。とはいえ、そのような者であっても、罪を悔い改め、それをやめれば、我々の慈悲に授かるだろう」
第10節~第11節の教え
・奇跡は、神の意志によって、神の預言者たちの手で行われます。そのため、人々にとって、それらが奇跡である以前に、預言者たちにとっても、確信を与える奇跡なのです。
・神の見方によれば、圧制者は常に、心の中に、平穏や安全ではなく、恐怖や不安を抱いているものです。
・神の赦しは、人間が善い行いをしたり、罪を犯した人が償ったりした後に与えられます。