戦争の道具
今回は戦争の道具、とくに剣と刀の製造の歴史についてお話することにいたしましょう。
イラン人は昔から世界の人々の間で勇敢で熟練した戦士として知られてきました。このため、戦争の道具を使用することは彼らにとって常に必要なことでした。フェルドースィーのシャーナーメでは、多くの品々の発明、鉄の溶解、戦争道具の使用をイランの伝説の王ジャムシード王に関連付けていますが、明らかなことは物語や伝説を越えて、イランにおける戦争道具の製造と使用は、この地の文明の歴史と共にあったということです。ギリシャでのイラン人の戦争に関して書かれた書籍にはこのようにあります。
「イランの多くの都市で武器が製造されていたが、いくつかの武器製造都市が重要性を有していた。これらの都市の一つに、イラン西部のケレンドという町があり、装甲や兜など各種の装備を製造していた。他に、ザンガーン、あるいはザンジャーンがあり、剣や刀の製造において優れた職人がいた。これに加えて、イスファハーン、レイ、タブリーズも各種の武器を製造していた」
16世紀からその当時の世界でイランの武器が優れたものであることが知られるようになりました。サファヴィー朝時代に何度もイランを訪れたフランスの旅行家ジャン・タヴェルニヤは、このように記しています。
「イラン人は鋼生産の芸術において完全な技術を有しており、剣、刀、ナイフの刃を作るためにどのように鋼を用意するかを知っている」。
さらに、もう一人のフランスの旅行家、ジャン・シャルダンも16世紀に旅行記の中で、イラン製の剣について詳しい説明を記しています。16世紀から19世紀まで、イランで剣の刃の製造において変化が生じ、それらの刃は大きく湾曲しました。
イランの剣の製造産業は、武器を持つことが各人の生活に必須のこととみなされるようになった時代に遡ります。銃火器が入ってくると、次第に刃物などの武器の携帯や使用は廃れ、剣製造の文化も衰退しましたが、日常的な使用のための刃物の製造は続けられました。
刃物製造産業を維持しているイランで最も有名な都市の一つに、イラン北西部のザンジャーンがあります。この町でソルトマンと呼ばれる複数のミイラが発見されたことで、ザンジャーンの刃物産業の歴史は2000年以上前に遡ることが明らかになっています。
最古のナイフは、チェフルアバードの塩鉱山で発見されたソルトマンから見つかりました。このナイフは持ち手がヤギの角でできており、長さは11センチ、二つのびょうを使って刃をつないでいます。このナイフの鞘は動物の皮でできており、同じ皮のバンドで所有者の服につけられていました。このナイフは、ザンジャーンの刃物産業の歴史についての最初で最古の確かな証拠とみなすことができるでしょう。歴史的価値を伴うこの証拠に加えて、16世紀ごろからザンジャーンは手工芸の中心地の一つとなり、そこでは武器や刃物などはその派生産業の一つとみなされていました。
ザンジャーンの刃物産業は、歴史の様々な戦争におけるザンジャーンの役割や地理的な地位、近隣の州に比べて戦略的な地位にあること、東と西の文明の交差点にあること、中央高原に近いこと、鉄や銅などの鉱物や原料が存在すること、こういった要素が生み出したものです。
刃物は職人の趣向や技術に注目すると、市場の要求をかなえるために、様々な形で製造され、市場に提供されており、多くが実用的ではない芸術的なものとなっています。とはいえ現在、これらのうちの一部は使用の側面も持ち、台所用や狩猟用、また庭仕事のための刃物を挙げることができます。これらの刃物には様々な用途、種類、大きさがあり、多くの装飾が施されています。
どの職人も通常、ある種類の製造品においてとくに優れた技術を持っており、その作品を売るために、製造し、市場に供給しています。ザンジャーンの職人はたいてい事前に注文を受けて商品を作っており、およそ10本から15本を作ると、店舗に卸します。刃物製造はザンジャーンでは男性が行い、たいてい家族が代々引き継いでいます。現在、ザンジャーンでは500以上の工房が活動しています。
ザンジャーンの他、イラン南東部のケルマーン州でも昔から、熟練した職人によって手工芸が営まれ、類稀な芸術品を生産し、これによって生計を立てています。刃物の製造は、ケルマーン州のラーイェンの独自の手工芸で、その歴史は町の城砦建設の初期に遡ります。最も重要な史跡であるこの城砦は、サーサーン朝時代のもので、2万2000平方メートルを超える面積を有しています。
歴史の中では当時のケルマーンの為政者であるギャンジアリーハーンの指揮下にあったラーイェンの軍隊は、ラーイェンの職人たちが作る鉄砲によって常に戦場で勝利していました。さらに歴史の中ではこのような話があります。ガージャール朝のナーセロッディーンシャー時代、ラーイェンのある職人が鉄砲の筒や強固な錠をも簡単に切れるナイフを作りました。ある人たちは彼を奨励し、もしこのナイフを為政者のところに持っていったら、報奨がもらえるだろうと言いました。職人は期待を膨らませて、ナイフを箱に入れ、苦労しながら為政者のもとにもって行きました。ナイフを為政者に見せると、為政者はこのナイフをどのようにして作ったのか、他のナイフに比べて何が優れているのかと聞きました。職人は、このナイフは鉄砲の筒ですらも簡単に切ってしまうことができると言いました。そして何か鉄製のものを試しに切ってみましょうと言いました。為政者は部屋にぶら下がっていた鉄の錠を切ってみるように言います。職人はこれに従い、錠をいとも簡単に切り落とします。為政者はこれを見ると、「このナイフがあれば泥棒も簡単にできる」と言いました。そして役人を呼んで、職人の手を切ってしまうように命じます。職人は泣いて許しを請いました。一部の人の仲介により、為政者は彼を許しました。今後このようなナイフは決して作らないことを条件に。
ラーイェンの刃物製造には、長い歴史があり、その製造方法は鍛冶屋の作業とほぼ同じで、違いはナイフを作る際に鋼鉄製の刃を使用し、その後その刃を、芸術的な装飾が施された木や動物の角、金属の柄をつけることです。ラーイェンでこの種の分野で作られている刃物は、5つに分けられ、その名前は刃やそれらの使用方法によります。
ナイフを製造するにはまず、固い鋼鉄を色が完全に赤くなるまで窯の中に入れます。その後それハンマーでたたいて、圧縮させ、より強固なものにし、形を整えます、次に削ってやすりにかける作業があり、その次にメッキを施し、刃を火の上において、ナイフを持ち手につけます。柄の部分は、金属、木材、動物の角などがあり、それぞれが独自の製造と装飾の方法を有しています。
イランで金属工芸として製造されているナイフには、多くの種類があり、優美さ、バランス、技術において類稀な特徴を有しています。現在こうした金属工芸の職人の作品を購入する人々の多くが観光客となっていますが、その貴重な作品の一部は博物館にも収蔵されています。