預言者イブラヒーム
聖典コーランは、人々を啓蒙するための書物として、歴史の教訓を述べています。コーランに出てくる出来事の中には、人間の数々の過ちや逸脱が、類のない美しい表現で語られ、確かな論証によって、人間を熟考へといざなっています。
そうした教訓の一つが、イブラヒームによる唯一神信仰についての物語です。
「イブラヒームよ、急ぎなさい。祝祭の日がやってきた。全員で荒野に行き、盛大な祝祭をあげなければ」
「しかし、私は病気です。あなた方と一緒に行くことはできません」
「何を言っているのだ?これは最大の祝祭だ。誰ひとり、町に残る者などいない」
「申し訳ありません。でも私はここにとどまります」
「それならしかたがない。だが、お前は自分の手で、この大きな喜びの機会を手放したのだ」
イブラヒームは、町に誰もいなくなったことを確かめてから、ゆっくりと偶像がまつられている場所へと足を踏み入れました。そこは広々とした空間に、大小さまざまな偶像が祀られており、それらの偶像の傍らには、多くの食べ物などが備えられていました。イブラヒームは偶像の正面に立ち、冷ややかな笑みを浮かべて言いました。
「なぜ、食事をしないのですか? なぜ話をしないのですか?」
それから、このようにつぶやきました。
「人間の手で削られた石が、どのように言葉を発するというのだ」
当時の人々の無知、愚かさに心を痛めていたイブラヒームは、次々と偶像を地面に倒していきました。それから斧を持ってきて、偶像の上に打ち降ろし、砕けた石をさらに粉々にしていきました。それが終わると、イブラヒームは斧を一体の大きな偶像の肩に置いて、そこを出て行きました。
バービルの人々は、祝祭の儀式を盛大に行って町に戻って来ました。彼らは祈りを捧げるため、礼拝所へと向かいました。するとすぐに、大きな騒ぎが起こりました。
「これは大変なことになった。我々の神々が粉々になっている」
「私たちの神にこんな無礼なことをしたのは、一体どこの誰だ。そいつは間違いなく圧制者だ」
人々の間から大きな声が上がりました。
「これはイブラヒームの仕業に違いない。彼は私たちの神々を冒涜し、侮辱していた。また、魂を持たぬものは崇拝に価しないとも言っていた。そして今日、町に残ったのはイブラヒームだけだった」
人々はイブラヒームの許に押しかけ、怒りと憎しみに燃えて彼を捕らえました。そのとき、一人がイブラヒームに尋ねました。
「あなたが私たちの神々に、このようなひどいことをしたのですか?」
イブラヒームは答えました。
「きっと、あの大きな偶像が他の偶像たちを壊したのでしょう。その偶像に尋ねてみればよろしい」
人々はあまりの驚きに、口も利けませんでした。彼らは自分の良心に語りかけて考えました。
「もしかしたら、圧制者とは我々自身なのかもしれない」
それから人々はうなだれながらも、こう言いました。
「イブラヒームよ。あなたはこの偶像が口を利かないことを知っているはずだ」 イブラヒームは言いました。
「あなた方は、唯一の神の代わりに、何の利益も、また損害すらも与えてくれないようなものを崇拝している。あなたたちと、あなたたちが神の代わりに崇拝するものに災いあれ。なぜあなたたちは考えないのか?」
バービルの王、ナムルードは、激しい怒りに震えながら歩き回り、悪態をついていました。
「イブラヒームとは何者だ? そいつはどんな権限があって、唯一の神のことを口にするのだ? すぐにそいつを私のところに連れてくるのだ!」
イブラヒームが到着すると、ナムルードは彼に向かって言いました。
「お前は何という騒ぎを起こしてくれたのだ。唯一の神とは、一体何のことだ? お前は私以外に神が存在するとでも思っているのか?」
イブラヒームは答えました。
「私の神は、人間をよみがえらせ、また死なせる方です。私の唯一の神は、魂を与え、また魂を奪う方です」
ナムルードは高らかな笑い声をあげると、尊大な態度で言いました。
「そんなのはたやすいことだ。私も人間をよみがえらせ、また死なせることができる」
それから、牢獄にいる2人の囚人を連れてくるよう命じました。そして、そのうちの一人を殺し、もう一人を解放するよう指示しました。その上で、ナムルードはイブラヒームに向かって勝ち誇ったように言いました。
「どうだ、イブラヒームよ。簡単なことではないか」
イブラヒームは言いました。
「しかし、私の神は全知全能の創造主です。神の命によって太陽が東から昇ります。では、あなたはそれを、西から昇らせてみてください」
ナムルードは、イブラヒームのこのような論理の前に言い返す言葉を持たず、憮然としたまま、イブラヒームを追い返すしか術はありませんでした。
その後、イブラヒームは家族と共にバービルの町を去りました。イブラヒームは道の途中で、星々を崇拝する民に出会いました。イブラヒームは、人々を無知や迷いから救う役目をつかさどっていたため、まず、彼らの心をひきつけ、それから彼らを集めて言いました。
「なんと美しく輝く星たちだろう。なんと魅力的で壮大なことか。そう、これは私の神である」
数時間後、星は姿を消しました。イブラヒームは難しい表情で、悲しそうに言いました。
「いや、私は姿を消す神を愛さない」
それから、美しい月が現れました。イブラヒームはそれを称賛して言いました。
「私の神は、これである。より魅力的で、より大きい」
しかし、それからまもなく、月もまた、空から姿を消しました。イブラヒームは言いました。「もし私の主が私を導いて下さらなければ、私はきっと道に迷ってしまう」
翌日、太陽が光を降り注ぎながら昇りました。イブラヒームは叫びました。
「これこそ、私の神だ。美しく、壮大である。また温かく、熱を持ち、より素晴らしい」
しかし、一日が終わると、太陽も沈んでしまいました。そこでイブラヒームは、星を崇める人々のもろい信条に、最後の一撃を与えて言いました。
「いや、これも私の神ではない。私はあなたたちが神と同等に据えているものを嫌悪する。私は、天と地を創造した神を信仰する。私は多神教徒ではない」
このイブラヒームの物語は、コーラン第2章アル・バガラ章雌牛の第258節、第6章アル・アンアーム章家畜の第79節、そして第21章アル・アンビヤー章預言者の第50節から70節に登場します。