8月 12, 2017 23:47 Asia/Tokyo
  • 預言者のモスク
    預言者のモスク

この番組では、イスラム世界におけるモスクの重要性や、現代世界にモスクが果たす役割に注目し、モスクの様々な機能について考えるとともに、世界の重要なモスクの一部をご紹介してまいります。

前回は、モスクが神の家であり、モスクに出入りする人々が神の特別な慈愛を受けられることについてお話しました。神は、モスクやそこに出入りする人々を祝福し、人々に恩恵を与えてくださいます。これについて、預言者は次のように述べています。エ;“モスクに赴く者は、神の家の賓客であり、神は物質的、精神的な日々の糧をもって、その人をもてなす”

イスラム教徒は、イスラム初期において、モスクの建設に大きな憧れを示していましたが、それはイスラムの預言者の言動によるものだったといえます。預言者は、メディナに聖なる移住を果たして間もないころ、自らの手でクバー・モスクや預言者のモスクを建設し、その後も様々な部族地域に9つのモスクを建設しました。預言者は、モスクを建設するため、様々な部族たちのもとや彼らの住む地域を訪れ、モスクの建設場所や、礼拝の方向を示すキブラの位置を正確に定めたのです。モスクの建設後初めての礼拝は通常、預言者の立会いのもとに行われ、こうしてモスクが正式に開所することとなりました。

神の預言者は、いずれの旅先においても、ある場所を礼拝のための場所に当てていました。彼は、このことによりモスクの建設という文化を広めたのです。もっとも、預言者が造ったモスクが絢爛豪華なものだったと考えられてはなりません。それらは、その土地で得られる木材や石材など、ごく基本的な資材を利用して造られた、極めて簡素なものだったのです。

このように、神の預言者は、自らの手で数多くのモスクを建設、或いはその建設場所やキブラの方向を定め、もしくはそこで礼拝を行いました。この偉人はまた、多くの場所においてモスクを建設する命令を出しています。こうして、モスクはイスラムやイスラム社会を具現する主な指標となりました。イスラムに入信した人々も、その第1歩としてモスクの建設に携わりました。

預言者のこうした活動は全て、イスラム教徒の団結を促すというイスラムの目的にそったものでした。このため、預言者は偽善者の一部がモスクの建設によりイスラム教徒たちの間に対立を起こそうと企んでいることに気づいた際、そのモスクでは礼拝を行わなかったのみならず、それを全て破壊し、焼却するよう命じたのです。そうしたモスクは、コーランの章句によれば有害なモスクと呼ばれています。

実際に、表向きのイスラム教徒を装っていた人々は、モスクの建設によりイスラムに反対する拠点を造り、イスラム社会の内部からイスラムを倒壊させようとしていました。しかし、有害なモスクを破壊し、その場所を廃棄物の集積場にしようとする預言者の勇気ある行動は、たとえ表面的には聖なる場所としての上薬がかけられていても、そうした虚偽のシンボルは破壊されるべきであることを示したのです。

「モスク、神と人間の約束の場所」は、IRIB国際放送ラジオ日本語がお送りしています。ここからは、サウジアラビア西部の町メディナにある預言者のモスクについてご紹介してまいります。

前回お話したように、預言者のモスクは、豪華な装飾の一切ない非常に簡素な構造で造られました。建物の壁には石と日干し煉瓦、柱にはナツメヤシの樹木の幹が使われていました。それらの柱はそれぞれ、1400年にわたるイスラムの歴史と同じほど古いものであり、重要な出来事を思い出させる存在であり続けてきました。これらの柱の中でも、8本の柱が特に有名な存在とされています。それは、これらの柱には預言者の時代からそれぞれに名前がつけられていたからです。これらの柱は白く、現在も、拡張工事により後から追加された柱とは一線を画する存在となっています。

預言者のモスクにある柱の中でも、特に有名なものの1つは、「悔い改めの柱」です。この柱の名前は、アフザーブの戦いでアブーロバーベという人物が裏切り、その後で自らの行いを悔い改めたとする故事に由来します。預言者がメディナに聖なる移住を行ってから5年目のこと、多神教徒の同盟はメディナを襲撃し、メディナの北部でイスラム教徒の造った堀に行き当たった時、メディナ南部に住んでいたユダヤ教徒のゴライザ族と同盟を組むことを思いつきました。ゴライザ族は、自らの領内を仕切る門を開けることで、イスラム教徒に反対する民族の連合をメディナに入れることも可能でした。

ユダヤ教徒のゴライザ族は、神の預言者と契約を取り交わしていました。しかし、彼らはこの契約にもかかわらず、多神教徒らと手を組み、契約に違反したのです。複数の部族による攻撃の終了後、神の預言者はゴライザ族を探し当て、彼らを包囲しました。このとき、アブーロバーベという人物が話し合いを目的にゴライザ族のもとに赴きます。ゴライザ族と交友関係のあったアブーロバーベは、イスラム教徒に立ち向かい自らを防衛するようゴライザ族を促します。アブーロバーベによれば、この裏切り行為の後、彼はすぐさま罪悪感を感じたとされています。この良心の呵責から解放されるべく、彼は神の預言者のもとに駆けつけて報告をするのではなく、改悛のためにモスクに直行し、モスクの柱の1つに自らを縛りつけ、預言者以外の人物が自分を柱から外さないよう宣言したのです。このことから、この柱は悔い改めの柱として知られるようになりました。一部の伝承では、この柱のそばで礼拝をすると多大な報償が得られると伝えられています。

「モスク、神と人間の約束の場所」は、IRIB国際放送ラジオ日本語がお送りしています。今夜は、サウジアラビア西部の町メディナにある預言者のモスクの柱にまつわる伝承をご紹介しています。それでは、ここからはこのモスク内にある幾つかの柱についてご紹介することにいたしましょう。

また、預言者の礼拝の壁がんの最も近くにあり、預言者が礼拝していた場所を示している柱は、香料の柱と呼ばれています。現在、この柱は当初あった場所よりも少々前方にあります。この柱の名前は、燃やすとモスク内全体に上品な香りを漂わせる香料に由来します・

また、このモスクの主要な複数の柱の中央には、アーイシャの柱と深夜の礼拝の柱があります。言い伝えによりますと、神の預言者は夜、人々がモスクからそれぞれ帰宅していく際、この柱の脇にムシロを広げて夜の礼拝を行ったとされ、そのために夜の礼拝の柱と命名されたということです。この柱は、預言者の娘ファーティマの家の後ろにあり、ここに取り付けられている大理石にはアラビア語で、「預言者の夜間礼拝の場所」と刻まれています。

 

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