チュニジアのケルアン大モスク
今回はまず、モスクの社会的な機能の1つである、イスラム教徒の同調や団結の促進についてお話しし、後半では、アフリカで初めて礼拝の合図を流したチュニジアにあるケルアン大モスクをご紹介してまいりましょう。
前回は、モスクがイスラム教徒の集まりの場であるとともに、時にはイスラム共同体の壮観な団結を具現する場でもあることについてお話しました。こうした団結は、あらゆる社会の礎や原則が存続する上で、基本的な役割を果たしています。老若男女を問わず、様々な考え方や趣向を持つ人々が、モスクに一堂に会し、互いに寄り添い、共感、同調することになります。
モスクは、イスラム教徒が互いに寄り添い親睦を深め、団結する場とされています。イスラム教徒は日々の礼拝や金曜礼拝など定期的に、またある特別な折に宗教的な集いに参加します。彼らは意識的、あるいは無意識的に宗教的な教育の場におかれることになり、彼らには社会的な同朋意識、モラルや言動面での重要な影響が見て取れます。スイスの政治家でイスラム学者でもあるマルセル・A・ボワサールは次のように述べています。
「モスクは、世界のイスラム教徒の団結や同調を促す原動力となっている。この点に関するモスクの社会的、文化的な重要性を無視することはできない。特に、イスラム教徒がイスラムのあけぼの時代の情熱を再び具現している現代において、モスクは精神修養の場、さらには覇権主義者や圧制者に対するイスラム共同体の抵抗運動の拠点にもなっている。モスクは、次第にイスラムが出現した当初の位置づけを見出しつつある。モスク内には図書館や集会室が併設されている。このことは、イスラムにおけるモスクが、一部の人々の考えているように、単に礼拝などの宗教行為を行う場所ではなく、確実に政治や文化面でのイスラムの重要な拠点であることを物語っている。金曜礼拝は、休日にイスラム教徒が集い、重要な社会問題を提起し、公衆衛生や住宅といった福祉面での問題について話し合い、政治的な問題や専門性を要する問題などについて決断を下す手段でもある。近年においては、人々の間に政治をめぐる亀裂や分裂が見られるものの、モスクでは腐敗した圧制者による統治を不服とするイスラム教徒の集まりで、暴君に対する民衆の抗議行動の計画が立案され、西側諸国の植民地となっている国の傀儡政権の中枢を揺るがしている。このようなことは、今なお西側諸国において反体制派グループや野党が実施できない事柄である」
崇高なる神は、自らの預言者に対し、イスラム社会の団結を乱すようなモスクでの礼拝や立ち入りを禁じています。このため、預言者はそのような場所に立ち入らなかったのみならず、そうした場所を焼却し、破壊するよう命じていました。
預言者がメッカからメディナへの聖なる移住の後に創設した、初のモスクであるゴバー・モスクに対抗するため、偽善者の集団が本来の目的に外れたモスクを造り、ここをイスラムに対する陰謀を企画するための拠点にしようとしました。彼らは、預言者にこのモスクを設置する許可を申請していましたが、預言者はその最終決定を旅先から戻るまで先延ばしにしていました。
しかし、偽善者たちは預言者の留守中に無断でこのモスクを建設し、預言者がメディナから帰ってくる途中に、預言者に対し、礼拝の実施によりここを正式に開所したいと願い出ました。もっとも、預言者は神のお告げにより、この陰謀を事前に見破っており、イスラム教徒の間に分裂を起こすためのモスクが造られたことを察知していました。このため、預言者はこのモスクを破壊して廃棄物の投機場所とし、木材でできたこのモスクのうつばりを焼却するよう命じたのです。
有害なモスクを焼却することは、あらゆる時代のイスラム教徒に次のようなメッセージを発しています。それはイスラムの見解では信者たちの間の団結が極めて重要であり、仮にモスクを建設する際にも、イスラム教徒間の分裂や対立を狙いとしたモスクが建てられた場合には、そのモスクは穢れたものとなる、というものです。
それでは、ここからは北アフリカのチュニジアにあるケルアン大モスクをご紹介してまいりましょう。
ケルアン大モスクは、ウマイヤ朝政権のある司令官により、チュニジアの首都チュニスの南160キロの地点にあるケルアンの町に、7世紀に建立されました。このモスクは、北アフリカで最古最大とされ、その総面積は9000平方メートルにも及びます。また、イスラム世界西部で最も古い礼拝所でもあります。
アフリカ大陸で初めて、イスラムの礼拝の合図・アザーンが、このケルアン大モスクから流されたことから、このモスクはイスラムの歴史において特別な位置づけを有しています。このモスクは当初、非常に小規模で天井が柱のすぐ上にあるという構造になっていました。しかし、時代の経過とともに、大規模な改修工事が加えられ、美しい装飾が施されました。特に、このモスクの外装は、周囲を強固な砦に囲まれているような印象を与えます。
また、このモスクには5つのドームと9つの入り口があります。壁は、石材とレンガでできており、壁の間には強固な土台が置かれています。
ケルアンの大モスクのミナレットは、アフリカで最も美しい部類のミナレットとされ、3つの階に分かれています。2つ目の階は一番下の階より小さく、最上階は2つ目の階よりさらに小さくなっています。また、このミナレットは一度ではなく、何回にもわたって建設されたと言われています。
このモスクには、5つのドームがあり、中でもメッカの方角を示す壁がんのあるドームはアフリカで最も古いとされています。また、モスクの中庭に通じる入り口のところにあるドームには、非常にきらびやかな装飾が施されています。さらに、東側と西側にある礼拝用スペースへの入り口には2つのドームがあります。
ケルアンの大モスクにある説教壇は、今から600年ほど前のものとされ、イスラム世界で最も古い説教壇と言われています。この説教壇は、彫刻の施されたおよそ300ほどのモルタル片でできており、このモスクで主となる上座とされています。また、この説教壇には11段の階段がついており、さらに草花の図柄や幾何学的なデザインをあしらった2つの碑文も見られます。
また、このモスクの壁がんの一部には、陶器製の碑文がありますが、このことはチュニジアでは既に当時、化粧タイルが製造されていたことを裏付けるものです。さらに、このモスクの中庭は、いくつもの穴やくぼみのある石が敷き詰められていますが、このことにより塵あくたや雨水などが石畳を通り越して土中に浸透するのを防ぐ仕組みになっています。
ケルアン大モスクの中庭の周辺には、400本の柱とともに、馬の足につける蹄鉄のようなU字型のアーチがたくさん並んでいます。このモスクの美しさと壮観さは、何よりもその簡素なスタイルによるものです。ミナレットやいくつもの扉にも、簡素な装飾が施されており、イスラム建築における最高傑作としてのこのモスクの卓越した特徴をうかがわせます。
次回もどうぞ、お楽しみに。