May 07, 2018 20:57 Asia/Tokyo
  • ゴウハルシャード・モスク
    ゴウハルシャード・モスク

以前、モスクはイスラム共同体の団結の場であるとお伝えしました。この団結の維持には、宗教的な目標の達成が必要となります。コーランは明確に、人々に対して団結するよう命じており、モスクはこの命が行われるうえでの最もよい、神聖な場所です。一方で、この重要な目的の達成に向けて、礼拝する人々を助けるのは、集団礼拝の導師・イマームの役割です。

モスクでは、礼拝者が集団礼拝の導師に従うことは、組織的な行動の模範のひとつとされています。

集団礼拝では、礼拝者の声がイマームの声よりおおきくなるべきではなく、イマームをさえぎったり、イマームより早くに礼拝の動作を取るべきではありません。これらは見な、礼拝者に対して、社会的な団結を守るために、共同体や社会の指導者に対しても、そのような行動をとるよう教えます。なぜなら、集団礼拝のイマームは、イスラム社会の指導者の代表だからです。

集団礼拝

 

確かに、イマームや人々の先に立つ人物の仕事は、簡単なものではありません。この中で穢れとなる行為から遠ざかり、善行を施す、運営能力を持つ人物が、イマームとしてふさわしいのです。また、その人物は、指導者としての能力に加え、現世への執着や欲を捨てるべきであり、さらに、何よりも重要なのは、その人が常に神に見られていると考えることです。

集団礼拝のイマームの影響力は、礼拝者の団結にとって重要な要素です。集団礼拝の導師は、人々の信条や心に影響を与えることができてこそ、優れた導師だといえます。

社交的な性格も、人々の心に影響を及ぼす上での重要な要素です。指導者が謙虚な振る舞いにより、奉仕の精神を示し、人々のことを心から考えていることを理解させることができれば、容易に人々の心に影響を与えることになります。

 

ゴウハルシャード・モスク

 

ここからはイラン北東部のゴウハルシャード・モスクについてお話しましょう。

ゴウハルシャード・モスクはイランで最も重要なモスクのひとつです。この歴史的建造物は、シーア派8代目イマーム・レザーの聖廟の敷地の南にあります。このモスクは、ティムール朝時代の建築家が、レンガや漆喰をもちいて、そしてティムール朝の王、シャー・ロフの妻だったゴウハルシャード・アーガーの努力により、1418年に建てられました。

ゴウハルシャードはティムール朝時代の有名な女性の一人であり、国政についても相談を受けていました。彼女の名は、モスクの2箇所に、タイルによるモザイクで、建設者として記されています。

 

ゴウハルシャード・モスクのマクスーレのアーチ

 

ゴウハルシャード・モスクの中庭は、およそ正方形で、その広さは2850平方メートルで、4つのアーチと、一つの空色のドーム、2つの美しいミナレット、7つの礼拝所を持っています。このモスクは、歴史的な古さ、その芸術的な美しさや建築様式から、そして何より、イマームレザー聖廟に隣接することから、イランで最も重要なモスクとみなされています。

 

ゴウハルシャード・モスク

 

ゴウハルシャード・モスクは堅牢さと、イスラム建築の特性、デザインの美しさなどの点で、類を見ないものとなっています。その壁のすべては、大きく書かれた栄誉ある人々の名やコーランの節、ハディースや頌詩によって美しく飾られています。

 

ゴウハルシャード・モスクのマクスーレのアーチの装飾

 

ゴウハルシャード・モスクの最も重要な部分とは、美しい壁がんです。壁がんはイマームなどの宗教的な指導者が集団礼拝のときに、礼拝を行う場所でもあります。壁がんはまた、礼拝の方角を示すキブラの方向を向いており、たいていモスクの壁の南側に位置します。

ゴウハルシャード・モスクの壁がんには、2つの優れた文がしるされており、そのうちのひとつは大理石に描かれ、もうひとつはモザイクとなっています。

 

ゴウハルシャード・モスクのマクスーレのアーチ

 

壁がんの右側の突き当りには、サーヘボルザマーンの説教壇という、古い説教壇があり、説教師はここに上って説教を行っています。ゴウハルシャード・モスクには2つの説教壇があったと記されていますが、現在、この2つの説教壇はなく、その代わりに大きな説教壇があり、これがサーヘボルザマーンの説教壇として有名です。

この説教壇は14段の階段があり、釘は使われず、くるみとなしの木で作られています。今日、この説教壇には3つの碑文が刻まれており、ひとつは右側に、もうひとつはスルス体で、もうひとつはティムール朝時代のクーフィー体で記されています。これらの碑文はおそらく、祈祷の言葉だと考えられます。また、この説教壇がティムール朝時代のものであることの根拠のひとつは、説教壇の入り口部分ある、このティムール朝時代のクーフィー書体の碑文です。

 

ゴウハルシャード・モスクの説教壇

 

ゴウハルシャード・モスクの中庭は、以前はレンガで舗装されていましたが、後に石を敷き詰めるようになりました。中庭の中部には12メートル平方の区画があり、1950年までそのままでしたが、人々はそれを老女のモスクと読んでいました。

この場所はもともと、モスクの池があったところでした。1673年の地震のあと、ここが埋められ、礼拝の場所となったのです。

 

老女のモスク

 

また、地下水路・カナートの水も、当時モスクに引かれており、水が西側のアーチから中庭に引かれたことから、この西側のアーチは「水のアーチ」として知られています。

この老女のモスクは、土台があるように少し隆起しています。その周囲は石でできた柱がすえつけられていました。この柱の間には、明かりを吊り下げる鈎針がついていました。

この土台は、当初は木製の柱があり、モスクで火災が発生した後、およそ150年前に消失しました。ある裕福な女性は、私財を投じて、この木製の柱を石のものに変え、その後、このモスクは老女のモスクと呼ばれるようになりました。この場所は礼拝を行う場所でしたが、1957年ごろに体を清める場所となりました。

ゴウハルシャード・モスクの中庭

 

ゴウハルシャード・モスクでは、イマーム・レザー聖廟に隣接する最も広く、歴史のあるモスクとして、常に集団礼拝が行われており、イスラム世界で他に類を見ないモスクとされているのです。