4月 14, 2018 18:12 Asia/Tokyo
  • 誠実さ
    誠実さ

今回は、誠実さについて考えることにいたしましょう。

人付き合いのマナーを守り、他人を大切にすることは、人々に好感を持たれる行動とされ、他の人々の尊厳やそれぞれの違いに敬意を払っていることを示しています。成熟した人間としての技術を用いることで、人間関係は非常に大きく改善されることになります。また、人間として生きるための技術は、職場のみに限られず、これを改善することで生活の個人的、社会的な側面の全てが強化されます。

個としての技術の1つに、誠実さが挙げられます。誠実さとは、他人と接する際に正直であり、正しい行いをすることです。心理学者の研究によれば、ものの考え方や感情面において誠実で正直であることは、関係する人々にもプラスの効果を及ぼすことが分かっています。つまり誠実さにより、他人の無意識的な関心をひきつけることになります。もし、現実にこの特質が原因で他の人から疎んじられ、受け入れられない場合、それは誠実なその人を受け入れない人々の方が付き合うのに相応しい相手ではないことになります。

今日、心の健康の指標の1つに、誠実さが挙げられています。心理学の視点から見て、人間は誠実であることにより、多くの苦痛から解放されますが、その理由として心労の多くが偽りの言葉や行動によるものであることが指摘されています。誠実でないことは、人生において幸福を手に入れ、成功を収める上での大きな障害となります。

例えば、テレビドラマなどを見ているときに、少々よく注意してみると、そのストーリーに出てくる問題の全てが、誠実さに欠けるある人物の行動によるものだということがわかります。そうした態度が不注意によるものなのか、どの程度のものか、また許しがたいものであるかどうかはともかく、誠実さのない行動がもたらす可能性のある結果に注目してみてください。

 

コーランの視点では、誠実さは人間の本質に合致したものとされています。人間は、その清らかな本質により、健全でバランスの取れた存在となり、その人の思考と発言、表面と内面が一致し、自分の信ずるものを言葉に出すようになります。これについて、コーラン第39章、アッズマル章「集団」、第33節には次のように述べられています。

“真実や誠実さをもたらす者、またそれを信じる者、これらの人々こそ、敬虔な人物である”

 

 

神はまた、コーラン第9章、タウバ章「悔悟」、第119節において、敬虔であるよう呼びかけると共に、誠実な人々に従うよういざない、次のように述べています。

“敬虔な者たちよ、神に従い、誠実な人々と共にありなさい”

 

 

コーランのこの節に出てくる誠実な人間とは、その人の考えていることと行動、見かけと内面にいささかも偽りや不正がなく、全身に誠実さや正直さが浸透している人を意味しています。

誠実さを身に付け、人間として成長し、人格を高めるには、心を清らかさや真実で満たす必要があります。このことにより、次第に自信が増し、その結果、その人はより尊敬されるようになります。一方で、この中で、他人からの信頼も得られます。

ペルシャ語の古い諺に、「誠実さという舟は、岩礁にぶつかる可能性はあるが、決して沈没することはない」というものがあります。この諺が意味しているのは、誠実であっても、時に問題に遭遇することはありますが、それはごく小さな問題にとどまり、その代わりに他人からの信用を得られ、それにより成功が保証されるということです。もし、誰かが勇気を出して真実を述べたなら、他の人々はその人を勇気ある人として称賛し、その人は信頼を得ると考えられます。

誠実さを心がけ、これを自分のものにするための訓練を行うために最も適した場所は、自分自身の心のにあります。まず、自分用の雑記ノートを用意し、それに自分の思いや感じたことなどを書き綴ってみてください。そして、様々な状況の中での感情の移ろいや信じるものについて、文章を書き、自分が恐れるものと向き合うよう努力してみてください。自分自身に対して、決して隠し事をしないことです。しばらく経ってから、誠実さが身につき、より気分楽になったと感じられる時に、初めて楽に、ほかの事においても正しく行動し、他人に対しても誠実に接することができるようになっているはずです。

こうした誠実さの結果、より深いしっかりした交友関係や、喜び、ある種の解放感が得られます。コーランは人類に対し、現世での生活のみにおいて安らぎや精神衛生を得るのではなく、現世で然るべき責務を果たし、誠実な道を歩んだ人は、来世においても現世での自分の行動の結果による十分な恩恵が得られ、大きな救いを得られるとしています。これについて、コーラン第5章、アル・マーイダ章、「食卓」第119節には、次のように述べられています。

“今日は、正直なものたちを、その正しさゆえに救済する日である。木々の下を小川が流れる楽園があり、彼らはそこに永遠に留まる。神は彼らに満足し、彼らもまた、神に満足している。これこそ、偉大な救済である”

 

 

次回もどうぞ、お楽しみに。