4月 15, 2018 17:16 Asia/Tokyo
  • 衛生観念
    衛生観念

衛生観念は、その人の人柄を示すと同時に、建設的な社会関係を築く上で大きな効果があります。イスラムの教えでは、入浴と個人的な衛生を守ることが極めて注目されています。今回は、このことについてお話することにいたしましょう。

イスラムの教えでは、病気から体の健康を守ること、病気の元になる要素が体内に侵入するのを防ぐこと、食生活に留意し衛生基準を守ることなどが強調されています。宗教の偉人たちは、体の健康と衛生の維持に注目し、これに関しての出費を浪費とは見なしませんでした。浪費とは、体にとって無駄なものや害を与えるものに金品を使うことを意味します。このため、イスラムでは個人の健康や衛生を守り、身の回りの清掃や整理整頓、香水の購入などに出費することは、好ましい行動と見なされています。

イスラムと健康

 

イスラムでは、体を洗うことが非常に重視されています。体を洗い清潔に保つことに関する一部の問題は、日々の礼拝の前に体をきれいにすることと同様に、健康を守るための行為とされています。さらに、昼夜を通して常に体を清潔に保つことが強調されており、そのご利益が強調されています。このように、神に近づくという意思表示をしながら自分の体を清潔に保つことは、その人の心の浄化をも助けることになります。

体を洗うこと

 

宗教の偉人たちは、自分の体を洗うことを非常に重視しており、定期的に入浴していました。イスラムの預言者ムハンマドは、個人的な衛生の維持を特に重視し、自分専用の浴室を持つと共に、他人の助けを借りて入浴していました。さらに、入浴する間に食事を済ませ、入浴後は頭痛を防ぐために頭にターバンを巻いていました。

また、頭髪を清潔に保つための行為として、洗髪や散髪のほか、体の表面の無駄毛を剃ることが挙げられます。イスラムの預言者は、ヒマラヤスギの樹液で洗髪し、櫛でとかしていました。このとき、預言者は「髪をとかすことで、コレラが予防できる」と語ったとされています。また、他の人々にも頭髪が伸びすぎないように保ち、櫛を入れるよう奨励していました。

イスラムの預言者ムハンマドはまた、次のように述べています。

“体に生えてくる無駄毛を剃ることで、視力の向上や筋肉の増強につながり、また皮膚の汚れやシワを防ぐことになる” 

さらに、イスラムでは爪を短く切ることも、衛生観念の1つとして強調されており、預言者ムハンマドは次のように述べています。

“貧困に陥りたくない、また目の痛みやらい病、精神異常になりたくなければ、毎週木曜日の夕方にまず左手の小指から爪を切るがよい”

 

預言者はまた、鏡の前で頭髪を整え、櫛を入れ、時には水面に自分の姿を映して整髪し、特に外出の際にこれを行っていました。また、手と口と顔を洗い、水でうがいをし、手と顔を洗った際には自分専用の手ぬぐいで顔を拭いていました。

また、預言者は体臭を防ぐために、食費以上に香水や香料に金銭を費やしており、主に雄のジャコウジカの腹部にある香嚢(ジャコウ腺)から得られる分泌物を乾燥した香料である麝香を使っていました。彼は、非常によい香りを漂わせていたことから、彼が通った場所は3日間にわたりよい香りが感じられたということです。

 

特に暑い時期や肉体労働をする際には、入浴することで体臭を防ぎ、体の健康が守られます。入浴することは、体の衛生を維持することに加えて、他にも多くの効果があります。

シーア派8代目イマーム・レザーは、入浴することの多大な効果について、次のように述べています。

“入浴には多くの効果がある。健康維持のほかにも、体の汚れを落とし、血管を柔軟に保つとともに、体の各部位を強化し、老廃物を排除し、傷を消毒する作用がある”

入浴の習慣に関する宗教の偉人たちの伝承は数多く残されており、イマーム・レザーは次のように述べたとされています。

“1日おきに入浴することで、筋肉が増強され、毎日入浴すれば肝臓の脂肪分が減少する”

イマーム・レザーは、入浴に際しての包括的な習慣について、次のように述べています。 “入浴する際には、浴室に入る際にいくらかの白湯を飲むがよい。こうすることで、偏頭痛などを防ぐことが出来る” 

また、一部の人々の間では、入浴する際に頭から湯を浴びるのが良いとされています。

イスラムの教えでは、精神性と衛生観念の間には密接な関係があり、このことは、本格的な沐浴が必須或いは行った方が好ましいとされることにより証明されています。礼拝を初めとする様々な宗教的行為の報酬を増やすには、沐浴などの行いが条件となっています。

精神面での健康

 

それでは、ここからは精神面での健康に祈祷が果たす役割についてお話しましょう。

前回は、多くの医師たちの間で、心の健康を維持するには、予防策に力を入れる必要があるとされていることについてお話しました。この措置は、病気の兆候がまだない段階に、その後の発病を防ぐ目的で行われ、発病した際にはこれを食い止めるための初期段階の治療が行われます。病状が続き、慢性化した場合には、その病気の治療と合併症を防ぐ努力がなされます。

現在、難病や不治の病をはじめとする病気の治療法の1つとして挙げられているのは、治療を目的とした祈祷です。良く知られているように、イスラムでは祈祷が特に重視されており、このことから宗教書においては多くの病気の治療法として、医学的な治療に加えて特別な祈祷が提示されています。興味深いことに、つい数十年前まで西洋の社会では病気の治療が完全に物理的なものと考えられていたのが、現代では病気の治療に際して患者の宗教信仰を無視することはできない、と明言した論文が発表されています。

祈祷

 

祈祷は、病気の治療に重要な役割を果たしており、精神的な混乱を緩和することで、体の治療の下地が整います。これに基づき、アメリカ・サンフランシスコの総合病院に勤務する医師の1人、ランドルフ博士が興味深い研究を行いました。彼は、心臓面でのケアのために入院している393人の患者を、2つのグループに分けました。そのうちの1つのグループには、専門の祈祷師により祈祷が行われ、もう1つのグループには何も行われませんでした。いずれのグループも、医薬品による同じ治療が行われ、それぞれのグループを構成する患者たちは年齢や性別、心不整脈の病状の面で全く同じでした。しかし、10ヵ月後には、祈祷を施された患者たちのグループは、もう1つのグループに比べて抗生物質をそれほど必要としない、という驚くべき結果が出たのです。

病気の回復と沈静化のためにイスラムで奨励されている方法として、病気に罹っている体の部位に手を当てて祈祷することが挙げられます。この方法は、祈祷療法という新しい方法とされ、セラピストの手のひらには極めて低い電磁波、或いは電磁界が生じますが、これは特別な装置によって検出されます。

祈祷療法のもう1つの側面として、病気を癒してくれる、絶対的に優れた世界の創造主としての神に、患者が立ち戻るということが挙げられます。患者は、こうした祈祷において、自らの弱点や無力さを自白するとともに、死ぬことや病気が自分の人生の最期ではないということに気づかされます。このメカニズムは、特に慢性病や決定的な治療法のない病気の患者の生活の質を向上させることが可能です。

シーア派4代目イマーム・サッジャードの祈祷書に出てくる15番目の祈祷、そして病気の際の祈祷においては、次のように述べられています。

“おお、神よ!私に健康を与え、この病を癒したまえ!”

次回もどうぞ、お楽しみに。