4月 18, 2018 21:18 Asia/Tokyo

イラン西部ケルマーンシャー州は、すでにご存知のように昨年11月の大震災で大きな被害を受けましたが、それでも旧来の美しさと豊かな歴史の痕跡をとどめ、ここを訪れる観光客の目を楽しませてくれます。今回は、この地域の中でも、昨年の地震で最も大きな被害を受けたサレポレザハーブ市をご案内することにいたしましょう。

ケルマーンシャー州を訪れたからには、是非サルポレザハーブ市とその周辺の見所にも足を運びたいものです。サルポレザハーブは、イスラム初期のイラン西部に存在していたヘルワーンという古い町の廃墟の近くに建設され、この町の近くには、サーサーン朝時代から残る城砦の廃墟があります。

サルポレザハーブは、イランとイラクの国境地域の砦および拠点とされ、アラブ軍に攻撃された時代に破壊されました。しかし、現在では新しい町となって、テヘランとイラクの首都バグダッドを結ぶ陸上ルートに位置し、同国にあるシーア派の聖地に向かう巡礼者の通過点となっています。

 

サルポレザハーブは、山岳地帯と平野の中に位置しており、この地域にはさらに有名なダーラーフー山と、美しい沼のあるリジャーブ地区があります。それではここで、サルポレザハーブの魅力について、IRIB通信記者の報告です。

 

 

「サルポレザハーブの周辺には、ピーラーンという名前の村があり、ここは緑豊かなダーラーフー山の斜面に位置していて、イランめぐりをする人々の目を引く存在です。この村の周辺には、密林や樹林があり、スズカケノキやポプラ、クルミ、イチジクなどが混在する密林が、非常に美しい光景をかもし出しているとともに、訪れる人々が楽しいときを過ごす絶好の場を作ってくれます」

「ピーラーン村の主な景勝地は、落差の大きいピーラーンの滝です。この滝を訪れるには、サルポレザハーブ市からシャーラーン村に向かっておよそ9キロほど進む必要があり、さらに滝のある地区まで徒歩で15分ほどかかります。イラン人、そして外国人観光客のいずれも、イラン国内に落差が’100メートルもある滝が存在するとは、おそらく予想すらしていないのではないでしょうか。しかし、これは事実であり、ザハーブ高原の巨大な岩の間から、落差100メートルにわたって大量の水が急速に流れ落ち、どうどうという音が轟いています。また、この場所のもう1つの見所は、ロッククライマーがこの滝を下る光景で、そのため毎年この地区には多くの登山客が訪れます」

 

ピーラーンの滝

 

 全体的に、サルポレザハーブの周辺にある美しい山々は、数多くの見どころにあふれています。その1つに、パーターグ村にある行楽地で、イマーム・アッバースの名で知られる憩いの森が挙げられます。実際に、パーターグ村は原生林が良好な状態で維持され、ここに住む世帯の人々に清潔な水が行き届いていることから、クリーンな村とされています。

 

マニージェの砦

 

この地域にある史跡の1つに、1000年前のものとされ、石とモルタルでできた「マニージェの砦」があります。この砦の全景を遠くから眺めると、いくつもの穴の開いたテラスに見えます。さらに、この村にはマーラーヴ沼など、今なお開墾されていない自然環境が残っていることから、ケルマーンシャー州の観光名所の1つとなっています。

 

マニージェの砦

 

サルポレザハーブの周辺の街道にそって進んでも、大自然の美しさに出会うことができます。例えば、リージャーブの街道は、緑豊かで気候のさわやかなリージャーブ村へとつながっています。この街道の終着点は、バーバーヤーデガールという偉大な托鉢修道者の墓廟となっています。この人物は、イラクとイランのフリーメイソンとして名高いヤルサニズム、すなわち天真教の偉人とされるスルタン・サハックの息子に当たります。なお、ここに併設されている行楽施設に行くには、そこから少々歩く必要があります。

バーバーヤーデガールの墓廟では、托鉢修行者たちによる様々な儀式が実施されます。この墓廟は、高く聳え立つ岩山の中にあります。ここは難所であることから、周辺には樹齢の高い樹木や湧き水が数多く存在し、訪れる人の記憶に残る風景をかもし出しています。

バーバーヤーデガールの墓廟を訪れる観光客にとっての最大の贈り物は、サルポレザハーブの厳しい暑さの中で吹いてくる、涼しいそよ風だといえるでしょう。

 

サルポレザハーブのバーバーヤデガールの墓廟

 

 サルポレザハール市の周辺にある名所旧跡の1つに、イランの古代民族の1つ、ルルビ族の王とされるアーヌーバーニーニーの王の姿を彫刻した岩のレリーフがあります。ルルビ族は、紀元前4800年ごろ、すなわちアーリア人よりもさらに前の時代の山岳民族で、ザグロス山脈のあるこの地域に暮らしていたとされています。

アーヌーバーニーニー王のレリーフは、ミヤーンコルの岩盤の表面に掘り込まれており、ビーソトゥーンの碑文と非常によく似ています。このことから多くの人々の間では、アケメネス朝の王ダリウーシュ1世がアーヌーバーニーニー王からインスピレーションを受けて、ビーソトゥーンの山中にビーソトゥーンの碑文を彫刻した、と考えられています。

 

アーヌーバーニーニー王の姿が彫刻された岩のレリーフ

 

さて、今度はサルポレザハーブ市内に戻ることにいたしましょう。ここでは、アフマド・イブン・イスハークが祀られている巡礼所を是非訪れておきたいものです。アフマド・イブン・イスハークは、シーア派11代目イマーム・ハサン・アスキャリーの有名な伝承・ハディースを集大成した人物の1人で、西暦761年ごろにサルポレザハーブにて逝去しました。現在、この人物の墓は巡礼地となっており、ここにはドーム屋根のついた四角い建物が建っています。

 

アフマド・イブン・イスハークの墓廟・巡礼所

 

 1979年のイスラム革命の後、サルポレザハーブ行政区は8年間に及んだイラン・イラク戦争による大きな被害を受けました。しかし、この町の人々はイラクの旧バース党政権軍を相手に果敢に抵抗しました。サルポレザハーブの街中に今なお残る廃墟や砲弾の命中した跡といった戦争の傷跡からも、この町の人々の勇敢さが見て取れます。

サルポレザハーブの人々は、ほかの町のイラン国民とともに、イランの国境を維持し、敵に立ち向かうために戦場をしっかりと守りました。サルポレザハーブは、暑さの厳しい町ですが、その暑さはこの町の周辺にあるナツメヤシの樹木の間を吹き抜ける涼風により、しのぐ事ができます。それらのナツメヤシの木々は、あたかも忠誠を誓う兵士たちのように、この町の国境地帯を守っているのです。

次回もどうぞお楽しみに。