コーランとは?(3)
今回は、聖典コーランについて、さらに詳しく見ていく中で、コーランの章の特長についてお話ししてまいりましょう。
「まことにコーランは、[人々を]最も確かな教えへと導く」
上記の節は、コーラン第17章アル・イスラー章夜の旅、第9節です。コーランは、その導きの光りによって、人々を無知や暗闇から解放し、成長へといざないます。コーランは、社会・経済関係、政治体制、道徳、教育に関して、人々が健全で幸福な社会に到達するための道を描き、この節にあるとおり、最も確かな教えです。コーラン第41章フッスィラト章解明、第41節と42節には次のようにあります。
「・・・この書物は間違いなく、失敗のないものであり、前からも後ろからも、いかなる偽りも入り込む隙はない。なぜなら、称賛に値する英明な神から下されたものであるからだ」
コーランは、確かな論理と基盤を持ち、その表現は深く、その教えもまた根深いものです。その教えは、創造世界と人間を支配する英明な神から下されました。歴史を見ても、コーランほど、その信者の生活に影響を及ぼしたものはなく、これほど人々の心をひきつけ、謙虚にさせた書物はありません。コーランの教えは、程なくして無明時代の堕落した文化を排除し、唯一神信仰と神の教えの光りをともしました。
コーランの章について、一部の解釈者は、これらの章はそれぞれが独自の特徴を有していると考えています。著名な解釈者であるセイエド・ゴトブ師は、「人間が皆、体の各器官を持ち、その点で共通しており、彼らの違いがその独自の人格にあるのと同じように、コーランの章も、多くの共通点を持ちながら、それぞれ独特の特長があり、それぞれが、特定の時代や条件のもとで下された」と語っています。
コーランの章を知る上で重要なのは、どの章がメッカで下され、またどの章がメディナで下されたのかを知ることです。コーランの専門家や解釈者は、各章をメッカ啓示とメディナ啓示に分けています。明らかに、メッカで下された章や節を知り、それをメディナで下されたものと区別することは、イスラムの歴史を知り、コーランの節を正しく理解し、イスラムの戒律や教えを学ぶ上で大きな役割を果たします。メッカ啓示の章や節は、西暦621年に、イスラムの預言者ムハンマドがメッカからメディナに移住する前に下されたもので、メディナ啓示の章は、この移住後に下されたものです。
一部のコーラン解釈者は、メッカ啓示かメディナ啓示かを知るために、時を基準にしています。また中には、下された場所を基準にする人もおり、それに関しては様々な意見が存在します。コーラン研究者のハーシェムザーデ・ハリースィー博士は、メッカ啓示かメディナ啓示かを知る方法の一つとして、章や節の目的、内容を知ることを上げています。また、コーランが語りかけている対象によっても、メッカ啓示かメディナ啓示かを知ることができるとしています。ハリースィー博士は、「コーランを知る」という本の中で、次のように記しています。
「人々よ、あるいは、アーダムの子孫よ、という呼びかけのある章は、通常、メッカ啓示である。なぜなら当時、メッカの人々は信仰を持っておらず、全ての人に対して呼びかけが行われていたからだ。だが、信仰を寄せた者よ、という呼びかけがある章は、通常、メディナ啓示である。なぜならメディナでは、敬虔な人々に向かって語りかけられていたからだ」
コーラン解釈者で、イスラム大学者であるタバタバーイー師は、これについて次のように記しています。「メッカ啓示かメディナ啓示かを判断する唯一の方法は、その内容に注目し、預言者の移住前、あるいは移住後の状況に照らし合わせることである」
概して、聖典コーランの114ある章のうち、86の章は、預言者ムハンマドがメッカに滞在した13年の間に下されました。メッカで啓示された章は、そのほとんどが節の数が少なく、またそれぞれの節も短くなっています。これらの章で、神は多神教徒の考え方や思想の曖昧な点に答え、多神教の思想、そして神や復活に関する彼らの根拠のない教えを否定しています。メッカ啓示の章は、押韻散文、リズムなどの文学的な法則の点で優れており、唯一神の信仰、預言者、来世、美徳へのいざない、創造世界の理解など、イスラムの基本的な問題を扱っています。
コーランの多くの節は、イスラムの預言者ムハンマドがメディナに移住した後に下されました。メディナの社会や人々の状況は、メッカのそれとは異なっていました。メディナでは、イスラムの原則と法則に基づく統治が打ち立てられていました。イスラム教徒は新たな力を得ており、次第に、彼らの弱点が長所へと変わっていきました。メディナでは、異なる社会的、政治的な思想、行動、立場を持った啓典の民や偽善者といったグループが存在していました。そのため、この町では様々な出来事が起こりました。イスラムによる統治の誕生、メディナの町の状況、アラビア半島における敵の反対や反発の高まりにより、メディナで啓示された節の内容や枠組みは、メッカで下された節とは異なるものとなりました。メディナで下された節は、多神教徒や不信心者との預言者ムハンマドの思想的な闘争、あるいは、反対者たちとのイスラム軍の戦いに関する出来事について述べています。メディナ啓示の章には、状況に応じて、偽善者たちの陰謀に触れ、時には、預言者と偽善者たちの間に起こった出来事についても述べています。このように、メディナで下された章には、人類社会が必要とする法則や原則の多くが述べられています。メディナ啓示の章は、ほとんどが数が多く、長文になっています。
ここで、コーランの短い章、長い章についてお話ししましょう。コーランの短い章の多く、平均的な長さの章の一部は、一度に預言者に下されましたが、長い章は異なっています。長い章の多くは、何回かに分けて、様々な機会に下され、その後、それらが集められて完全な章の形になりました。長い章は、メディナ啓示の章の真ん中に、メッカ啓示の節が含まれることもあり、反対に、メッカ啓示の章の中に、一節、あるいは複数のメディナ啓示の節が含まれることもあります。こうした章は、混合の章と呼ばれています。
コーランの章について言えるのは、預言者の時代の多神教徒の反対、そして新たな時代のコーランに対する敵対にも拘わらず、この天啓の書が、歴史の中で、その美しく魅力的な節と共に保護されてきた、ということです。そして、今、私たちが目にしているコーランは、預言者に下されたのと同じものであることは明らかです。預言者一門も、この類のない天啓の書の教えを、真理と偽りを区別する最高の教えであるとしています。
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