それでも夜は明ける2
この時間も、前回に引き続き、2013年のスティーブマックイーン監督の映画、「それでも夜は明ける」についてお話しましょう。
前回もお話ししたように、映画「それでも夜は明ける」は、奴隷として売られた黒人のソロモン・ノーサップによる12年間の奴隷生活、実体験を描いた作品です。
ソロモン・ノーサップは、妻と子供と共にニューヨークのサラトガに暮らしていました。彼は自由黒人のバイオリニストでしたが、ある夜、2人の白人から、周遊公演に参加しないかと誘われ、彼らと共にワシントンに向かいます。そこで、2人組の男たちに罠にはめられ、意識を失ったまま、奴隷商に売られてしまいます。
ノーサップは、自由になって家族のもとに帰りたいと願います。しかし、白人は彼から自由を奪います。ノーサップは奴隷商によって「プラット」という名前に変えられます。彼は12年もの間、奴隷として苦しい生活を強いられました。しかし、奴隷制に反対する、カナダ人の大工のサミュエル・バスという人物に出会い、彼の助けを得て、最後には解放されます。
ここからは、ウィリアム・フォードという奴隷商の農園のシーンを見てみましょう。
奴隷商のフォードは、プラット、つまりノーサップを奴隷市場で買い取り、ルイジアナにある農園に連れて帰ります。フォードの農園には、奴隷の指導役であるティビーツと監視役のチャピンがいました。プラットは少しずつ、フォードの農園で、その能力を発揮します。
35分から始まるシーンで、プラットは、チャピンとティビーツに、水路で材木を運搬する方法を考案し、説明します。しかしこの考えは、陸路でいつも通りに運びたいと考えるティビーツの見解に反していました。カメラは3人の上半身を映し出しています。
プラットは、川は小舟で渡るのに十分な深さがあり、材木をたくさん積んだとしても、フォードの農園と向こう岸を船で渡ることができれば、陸路よりもかなり距離を短くすることができると言います。そして、そうすれば運搬の費用も安くすることが可能だと説明します。ティビーツは驚いて、費用を安くできるだと、と言います。プラットは、もし水路を使えば、それが可能だと言います。ティビーツは、お前はエンジニアなのか、それとも奴隷なのかと尋ねます。そこでチャピンが、最後まで聞いてみようと言います。するとティビーツは、これは単なるアイデアで、多くのエンジニアもそのようなことを考えたが、水路は狭すぎると主張します。プラットは、そのことも考えたのだと言います。川は一番狭い場所でも、3メートル半の幅があり、通過することが可能だと反論します。ティビーツは、お前に何が分かると一蹴します。
プラットは、以前に水路の修復に携わったことがあり、その収入でさらに3人を雇ったことがあることなどを話します。チャピンは、ティビーツに向かって、お前がどう思おうと、自分はいい案だと思うと伝えます。チャピンはプラットにこう言います。「何人かを集めて、何ができるか見てみよう」 プラットは、数人の奴隷の助けを得て、小さな船を作り、川を渡ることに成功します。しかし、こうしたことがきっかけとなり、ティビーツはプラットに嫉妬と怒りを抱き始めます。
このシーンで、カメラは他の多くのシーンと同じように、まったく動きません。カメラの動きがないことで、黒人の運命は最初から決まっており、変わることがないのだということを伝えようとしています。
チャピンとティビーツのプラットに対する態度は、ティビーツのような白人の黒人に対する本質的な敵対心と、チャピンのように、能力のある黒人に妥協的な態度をとる白人がいることを示しています。アメリカの奴隷制度では、黒人が能力を発揮できる機会は非常に少なく、その限られた機会でさえも、チャピンのような白人の助けによって、それも個人的な利益により、ようやく活かされることができます。とはいえ、多くの場合、白人は、黒人の能力が発揮されることに反対します。
ここからは、「それでも夜は明ける」の101分から始まるシーンを見てみましょう。
フォードの農園では、ティビーツがプラットの能力への嫉妬心を高め、自尊心を傷つけられたため、プラットを殺そうとします。フォードは、それ以上トラブルになることを避けるため、借金の代わりに、プラットを悪辣なエップスに売ってしまいます。そのような中で、ある日、カナダ人の大工で、奴隷制に反対するバスという男が、エップスの農園にやって来ます。バスは、人種差別についてエップスと議論になり、プラットがその様子を見ています。
バスは、奴隷たちの労働環境があれほどひどいのに、私のことを心配するのかと非難します。エップスは、労働者の環境がどうしたのかと尋ねます。バスは、本当にひどいものだと言います。するとエップスは怒りだします。バスが、あのような状況は間違っていると言うと、エップスは、奴隷たちは私の仕事を助けるために雇われているのではなく、私の所有物だと言います。バスは、そんなことを誇らしく言うのかとあきれます。するとエップスは、事実を言ったまでだと言い返します。バスはさらに続けて、奴隷制には正義や公平というものがないが、あなたは黒人に対してどのような権利があると言うのかと尋ねます。エップスは、私は奴隷たちを金を出して買ったのだと主張します。バスはそこから、いくつかの例を挙げながら、エップスの意見に反対します。エップスは、自分を黒人と比較するのかと憤ります。そして、黒人の理解力は動物と同じだと言い放ちます。バスは、黒人は人間だと言い返し、アメリカ人は恐ろしい病に侵されているが、いつの日かその代償を支払うことになると警告します。エップスは、白人と黒人が平等などということはあり得ないと言い返します。そこで、バスとエップスの話を注意深く聞いていたプラットは、バスが奴隷制に反対していることを悟ります。プラットはバスに、自分の人生について語り、バスの助けによって、エップスの農園から解放されます。
このシーンでは、バスのように、白人の中には奴隷制に反対する人々もいるものの、多くの白人は、エップスと同じように、黒人と白人は同じではないと信じていることを示しています。実際、白人の中には、有色人種に対して人間として友好的な態度をとる人々もいますが、そのような人は少数派です。とはいえ、このような人たちが、奴隷を所有する白人の考え方に影響を与えることにより、黒人の解放を助けることができるのです。
映画「それでも夜は明ける」は、奴隷制に対する公平な見方を提示しています。弱い立場の黒人とともに、知識のある強い黒人の姿も描かれています。また、悪辣な白人とともに、優しい白人も見られます。この映画は、黒人のさまざまな側面を描き出しています。