ことわざ: 「正しい人間にならないと言ったのであって、王様にならないとは言っていない」
昔々のこと。あるところに誠実で規律に厳しい父親がいました。
この父親には息子がいましたが、その息子は品行方正とは程遠く、父親は息子の振る舞いにいつも悩まされていました。ある日、この息子がけんかをして、何人かを殴って怪我を負わせてしまいました。被害者たちは判事のもとに行き、息子を訴えました。裁判所に出頭するよう命じられた息子と父親は判事のもとに連れて来られました。ところが息子は、自分のしたことが、父親を苦しめ、名誉を傷つけてしまったことを何とも思っていませんでした。父親はずっと頭を下げ続け、息子の行いを被害者たちに謝りました。それから賠償金を支払って、息子が刑務所に入らなくてすむようにしてもらいしました。
しかし息子は、殴った人たちに謝り、父に感謝するどころか、父親に悪態をついて言いました。
「なぜ、あいつらの機嫌をとるために金を払うんだ? 争いの中で、いいことが起こるはずはない。殴れば殴り返される。あいつらがけんかを売ってきたから、拳骨を食らわせてやっただけのことだ」
父親は、息子がこんなにも愚かで恩知らずであることにショックを受け、思わずこう言ってしまいました。
「お前なんか生まれてこなけりゃよかった。お前はまったく反省していない。これまで育ててきた苦労はいったい何だったのだ」
息子はこの父親の言葉にさらに腹を立てて言いました。
「わかった。そんな風に言うのなら、家を出て行ってやる」
その夜から、息子は家に帰ってきませんでした。彼はどうやら、悪いグループと付き合っているようです。このグループは、夜になるとあちこちを襲撃して盗みを働いていました。彼らの行いはエスカレートし、悪事を働く回数も増えていきました。彼らの悪い行いが、あちらこちらで噂されるようになり、このグループはすっかり恐れられるようになりました。ついに彼らは、情け容赦なく通りで人々を襲うまでになりました。政府の役人も、彼らになすすべがありませんでした。
とうとう、そのグループは、王様を亡き者とし国家の統治権を握ることを計画しました。そのころ、くだんの息子はこのグループの頭になっていて、宮殿襲撃のグループを統率することになりました。その夜、王様の役人たちは、命が惜しくてとっくに逃げ出していたため、息子と仲間たちは、やすやすと宮殿に侵入し、王様とその側近たちを瞬く間に亡き者にしてしまいました。息子のリーダーシップによって襲撃は成功し、彼が新しい王様に選ばれたのです。
こうして、少し前まで、けんかに明け暮れ、父親に反抗していた息子が、一国の王になりました。しかし、息子はそのときもなお、父親の冷たい言葉を忘れていませんでした。息子は、王位につくとすぐさま、父親を捕えて宮廷に連れてくるよう命じました。玉座にふんぞり返って座る息子の前に連れて来られた父親は、息子の愚かな行為を恥じて、うつむいたままでした。息子は玉座の上から父親を見下ろして声を掛けました。
「あの頃、私を散々侮辱したのを覚えているか? さあどうだ。私は今、一国の王になった。言いたいことがあるなら、言ってみるがよい」
そこで父親は顔を上げてきっぱりと言いました。
「私はお前には王になる力がないとは言っていない。正しい人間にならないと言ったのだ。もし正しい人間になっていたら、自分の父親を、これほど惨めな姿で自分の前に連れて来いなどと命じる筈がない。お前は王になったときに私のもとを訪れて言う事があったはずだ。そして、自分が正しい人間になったことを人々に示すべきだった」
父親の言葉に、息子は黙り込んでしまいました。それが正しいことを、心の中で認めていたからです。このときから、権力や富を持っていても、人としての道徳を身につけていない人のことをこんなふうに言うようになりました。
「正しい人間にならないと言ったのであって、王様にならないとは言っていない」