コーラン第55章ラフマン章仁慈者(1)
今回は、コーラン第55章ラフマン章仁慈者を見ていきましょう。
慈悲深く、慈愛あまねき神の御名において
ラフマン章は全部で78節あり、神が僕たちに与えた精神的、物質的な恩恵を総体的に述べています。そのため、神の大きな慈悲を意味するラフマン・仁慈者という名前で始まっています。
ラフマン章では、創造の大きな恩恵、教育、清算とはかり、人間の福祉のための手段と精神的、肉体的な栄養、人間とジン・精霊の創造、天と地にある神のしるし、庭園や泉、果物や美しい配偶者、様々な衣服などの楽園の恩恵、罪を犯した人の運命と彼らの痛ましい懲罰の一部について語られています。
ラフマン章では、天国の恩恵が非常にすばらしいものとして述べられ、敬虔な人間の心に希望と喜びを与え、悲しみを取り払います。「あなたたちの主のどの恩恵を否定するのか?」という節の繰り返しは、この章に美しいリズムを与えています。このリズムはその美しい内容と組み合わさり、大きな魅力となっています。イスラムの預言者ムハンマドは、このように語っています。
「あらゆるものには花嫁があり、コーランの花嫁は、ラフマン章である」
ラフマン章の第1節から4節を見てみましょう。
「慈悲深い神はコーランを教え、人間を創造し、人間に話すことを教えられた」
ラフマーンというのは神の名前のひとつです。アッラーという言葉の後のラフマーンという言葉は、神の呼び名の中でも最も幅広い意味を含んでいます。神は2つの慈悲を持っています。一般的な慈悲と特定の人々への慈悲です。ラフマーンというのは、一般の人々に慈悲をかけることであり、すべての人に降り注がれるものです。また、慈悲をかけることを意味するラヒームという呼び名は、特定の人への慈悲を指し、信仰を寄せ、服従する人々へのものとなっています。
ラフマン章は、コーランという無限の恩恵について述べた後、人間の創造という恩恵に触れ、人間を創造したことを語っています。本当に、この創造世界の驚くべきものである人間の創造は、類まれなる恩恵です。人間は、神によって完成の段階を歩み、創造世界で最も気高い存在としての地位にたどりつきます。
これらの節で、コーランの後に人間という言葉がきていることは熟考に値します。コーランと人間は、どちらもこの広大な世界の偉大さを示すものだからです。コーランの節はこの後、人間の創造の後の最も重要な恩恵の一つに触れ、「人間に話すことを教えた」と語っています。言葉を話すことが、人生の進歩や完成、文明の出現と発展において、大きな役割を果たしているのは誰の目にも明らかです。もしこの大きな恩恵がなかったら、人間は決して、自分たちの知識や経験を、容易に次の世代へと伝え、学術や文明、宗教や道徳を発展させていくことはできなかったでしょう。
ラフマン章は、この後、精神的、物質的な恩恵の一部に触れ、これらの恩恵の真の持ち主を紹介しています。第5節を見てみましょう。
「太陽と月は、定められた計算に従って[動いて]いる」
太陽は、人間やその他の生物にとって非常に貴重な恩恵です。太陽の光や熱がなければ、地上で生きることは不可能です。植物が成長し、食料が用意され、雨が降り、風が吹く、これらは皆、太陽という神の恩恵によるものです。
月もまた、人間の生活になくてはならない役割を果たしています。月は、暗い夜を照らし、海洋の潮の満ち引きを調整し、海に生きる生物の存続の要素となっています。原則的に、天体の動きが秩序に基づいていること、つまり、月が地球の周りをまわり、地球が自転し、太陽の周りを公転していることは、昼と夜、月や年、季節の移り変わりを引き起こし、人間の生活に秩序をもたらしています。もしこのような動きが正確なものでなかったら、人間の生活は決して秩序だったものとはならなかったでしょう。
この天体の動きは、非常に正確な秩序に基づいており、その引力やそれぞれの天体、また地球との距離も、すべて計算されたものです。それらのいずれかが乱れれば、太陽系、そして人間の生活の秩序にも大きな混乱が生まれるでしょう。太陽系には計算しつくされた正確な秩序があるために、現在、未来の出来事を予想することができるのです。
ラフマン章の第6節は、植物や木などの存在物が、神に服従することに触れています。
「植物も木も、[神に]ひれ伏す」
植物や木がひれ伏すというのは、それらが創造世界の法則や人間の利益のために無条件で屈することを意味します。この節は、植物の唯一神の神秘にも触れています。なぜなら、植物の葉や種の中には、神の英知と偉大さのしるしが見られるからです。植物は神の命によって大地に顔を出し、成長します。
ラフマン章の第7節から9節を見てみましょう。
「神は天を掲げ、[そこに]はかりと法則を据えた。そのはかりを不正に用いてはならない。その分量を公正に基づいて守り、量りを少なくしてはならない」
これらの節は、天の恩恵に触れています。この節で、天とは星々、あるいは地球の成層圏を指しています。成層圏は地球を取り囲み、盾のように太陽の放射線や隕石から地球を守っています。いずれにせよ、天は類まれなる恩恵であり、それがなければ人間が生きることは不可能です。
熱と生命、動きの源である光や明るさは、天から訪れます。雨もまた空から降ります。さらに、この掲げられた天は、神の数々の偉大なしるしで、神を知る道において、人間を助けます。賢い人間は空について考えるとき、この壮大な機関を神は無意味に創造されなかったとつぶやくでしょう。
それからコーランははかりについて触れています。はかりとは、何かをはかるためのあらゆる道具や手段を言います。真理を偽りから区別するはかり、正義を圧制や悪から区別するはかり、社会のさまざまな段階における人間の価値観や権利のはかりなどです。はかりとは、ものの重さを計るための道具を意味しますが、この節では、天の創造を述べた後に触れているため、より広い意味を持っており、あらゆる測定の道具や創造と宗教の法則を指しています。原則的に、天が掲げられ、天体を支配する正確な秩序が存在することは、計算された法則やはかりがなければ、不可能なのです。
次の節は、結論として次のように語っています。「創造世界においてはかりが据えられた目的は、あなたたちもそのはかりを守り、それを侵さないようにすることにある。あなたたち人間も、この広大な世界の一部であるのだから、この世界の秩序を乱して暮らすことはできない」
ラフマン章の第9節は、再び公正の問題に触れ、次のように語っています。「あなた方は、公正に基づいて分量をはかるべきで、少なく量ってはいけない」 人間の人生において、はかりは非常に重要であり、人間の人生からはかりがなくなれば、取り引きにおいて、非常に大きな苦難や困難が生まれるのです。
これらの節を見ると、創造世界であろうと、人間の社会や社会関係であろうと、また取引においてであろうと、はかりや範囲、程度の存在は神の貴重な恩恵であることが分かります。このように、これらの節で、神は創造世界にはかりや範囲を据え、人間がそれを侵したり、公正の道を外れたりしないようにさせています。また、公正とはかりの問題に特別な意味を与え、人間に対し、さまざまなものをはかり、取引する際には、何かを少なくしたりしてはならないとしています。
ラフマン章の第10節は、地球について語っています。
「神は存在物のために地球を据えた」 ここで神の恩恵とされ、別の節でゆりかごとされているこの地球は、ジェン・精霊から人間、また、あらゆる地上の存在物のために、確かで平穏な場所です。私たちの多くは、通常、地球の重要性とその平穏を理解していません。小さなものでさえ、地震が起こるとき、全てに大きな混乱が生じます。そのとき、この平穏な地球が、どれほど大きな恩恵であるかを悟ります。特に、もし学者たちが地球の自転と公転の速度について語っていることについて考えれば、これほど速い速度で動いているのに、安定していることの重要性が、よりよく理解されるでしょう。
ラフマン章の第11節は、別の恩恵に触れ、このように語っています。
「その中には、[さまざまな]果物や鞘のあるナツメヤシがある」
この節は、さまざまな果実とナツメヤシに触れています。ナツメヤシの名前が出てくるのは、恐らく、この果物が人間にとって価値の高いものであるためでしょう。ナツメヤシの果実について、「初めは鞘の中に隠れているが、その後で鞘が開き、ナツメヤシの房が興味深い形で顔を出す」と書かれているのは、その美しさか、あるいはそこに隠されている利益のためでしょう。
次回も、引き続き、ラフマン章を見ていくことにいたしましょう。