コーラン第58章アル・ムジャーディラ章抗弁(2)
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コーラン第58章アル・ムジャーディラ章抗弁
今回も前回に引き続き、コーラン第58章アル・ムジャーディラ章抗弁を見ていくことにいたしましょう。
慈悲深く、慈愛あまねき、神の御名において
アル・ムジャーディラ章はメディナで下され、全部で22節あります。
アル・ムジャーディラ章では、主に、無明時代の一種の離婚の否定、ささやく行為の否定といった会合の際の礼儀、新たに会合に入る人たちを招き入れること、偽善者、神の仲間と悪魔の仲間について述べられています。
歴史には次のようにあります。イスラムの預言者ムハンマドが、ある金曜日、預言者のモスクの傍らにある大きな台座に座っていました。預言者の周りには人々が集まっていて、空いている場所がないほどでした。その頃、預言者は、バドルの戦いの戦士たちに大きな敬意を払っていました。そのとき、その集まりにバドルの戦いの戦士たちが入ってきました。預言者の周りにはすでに人が集まっていたため、戦士たちは彼らに挨拶をした後、立ったまま、誰かが場所を譲ってくれるのを待ちました。しかし、誰も動こうとはしませんでした。それは預言者にとって、非常に不快なことでした。預言者は周りにいた人々に、新しく入ってきた人たちに場所を譲るよう求めました。これは実際、信仰と神の道における努力の先駆者たちに敬意を払うという礼儀を教えるものでした。しかし、この出来事は、立ち上がって場所を譲った人々に不快感を抱かせました。
このとき、アル・ムジャーディラ章の第11節が下され、人々に集会の場の礼儀が説明されました。
「信仰を寄せた人々よ、いつでも会合の場で場所を空けなさいと言われたときには、場所を空けるがよい。そうすれば神はあなた方のために[問題を]解決される。またいつでも立ち上がれと言われたときには、立ち上がりなさい。神は、あなた方のうち、信仰を寄せ、知識を持つ人々に高い地位を授けられる。神はあなた方が行うことを知っておられる」
この節は、社会的な関係における重要な原則のひとつ、つまり、会合の際の礼儀と、他人の権利の遵守に触れています。新たに会合の場に入った人々を迎え入れることは、イスラムの道徳的な教えのひとつです。外から誰かが会合に入ってきたとき、そこにいた人々は場所を詰め、その人のために場所を空ける必要があります。そのためコーランは、「会合にいる際には、場所を空けなさいと言われたら、他人のために場所を与えてやりなさい、そうすれば神も、あなた方の行いを広げ、あなた方の問題を解決してくださる」としています。
この節は、他者の問題を解決することにより、神もまた、その人の問題を解決してくれるという点を指摘しています。時に会合に集まっている人たちの数があまりに多いため、立ち上がって他人に場所を譲る必要があります。そのため、この節は続けて、このように語っています。「あなたたちが立ち上がりなさいと言われたときは、立ち上がりなさい。新たに入ってきた人は、非常に疲れていたり、年を取っていたりするために、また特別な敬意が必要なために、場所を譲る必要がある」 その後、この神の命に従ったことへの報奨について次のように説明しています。「もしそれを実行すれば、神はあなたたちのうちで信仰を寄せ、知識を利用する者たちに高い地位を与えてくださる」
アル・ムジャーディラ章の最後の節は、敬虔な人々にこのように警告しています。「心の中で、神の敵と神を共に愛することはできない。この2つのうちひとつを選びなさい。もし本当に敬虔な人間であるのなら、神の敵との友好を捨てなさい」 コーランは続けて次のように語っています。「神と最後の審判の日を信じているのに、神とその預言者に敵対する人と仲良くするような一団はいない。その敵対する人が彼らの父親や子供、兄弟や親類であったとしても」
明らかに、両親や子供、兄弟や親戚への愛情は非常に重要なもので、人間の愛情が生きていることの証です。しかし、この愛情は、神への愛情と比較されるとき、その価値を失います。コーランは続けて、心の中に神への完全な愛情を抱く人々への大きな報奨について触れています。
「彼らは、神から心の中の信仰を確かなものにされ、神からの魂によって認められた人々である。彼らは、木の下を小川が流れる庭園へと導かれ、そこに永遠に留まる。神は彼らに満足し、彼らもまた、神に満足している」
信仰を持つ人々が、神から満足されていることを悟るとき、非常に心地よい気分になります。それはいかなる満足とも比較することはできず、神への完全な満足につながります。そして最後で、このように宣言します。
「彼らは神の党である。覚えておくがよい。神の党は救済され、勝利する」
彼らは、来世ではもちろん、現世でも、神の恩寵によって敵に勝利するのです。