コーラン第66章アッ・タフリーム章禁止(2)
-
聖典コーラン
今回も引き続き、コーラン第66章アッ・タフリーム章禁止についてお話しましょう。
慈悲深く、慈愛あまねき、神の御名において
アッ・タフリーム章章はメディナで下され、全部で12節あります。
アッ・タフリーム章で述べられているのは、イスラムの預言者ムハンマドと、その何人かの妻との出来事に関する問題です。この他、敬虔な人々への勧告、家庭の教育への強調、罪を犯した人の、罪の悔悟の必要性、不信心者や偽善者との戦い、善良な女性2人とそうではない女性2人の状態、預言者の妻たちへの警告といった事柄です。
罪を悔い改め、神へと立ち返ることは、アッ・タフリーム章の第8節で、救いを得るための最初の一歩だとされています。真の罪の悔悟とは、神に従い、神の満足を得ることを目的としたものです。この節は実際、地獄の業火から救われるための道を示し、次のように語っています。「信仰をよせた人々よ。神に向かって罪を悔い改めなさい。純粋な罪の悔悟である」
イスラムの預言者ムハンマドは、ある人物から、真の改悛とはどんなことを指すのかと尋ねられたとき、このように答えました。「つまり、罪を悔い改める人が、決して罪に戻ることはないようなものである」 この言葉は、真の改悛、罪の悔悟が、人間の中に大きな革命を生み出し、罪に穢れた過去に戻る道を完全に閉ざす、という事実を物語っています。罪の悔悟により、罪が赦され、その人の信仰心が増し、最後の審判で、信仰の光が、敬虔な人間の道を照らしてくれるのです。
アッ・タフリーム章の終わりの3節は、敬虔な女性と不信心な女性のモデルを提示しています。この3つの節は、実際、イスラム教徒の女性、特に預言者ムハンマドの妻たちに対し、逸脱し、罪を犯し、裏切りをする女性たちとつきあうのではなく、敬虔な人々とつきあうよう警告しています。まず、2人の偉大な預言者の家にいながら、預言者の敵たちに協力し、家の中の秘密を敵に漏らしていた、敬虔ではない2人の女性について述べています。アッ・タフリーム章の第10節を見てみましょう。
「神は不信心者となった人々のために、ヌーフの妻とルートの妻をたとえに挙げている。この2人の女性は、我々の善良な2人の僕の保護下にありながら、彼らを裏切った。この2人の預言者との関係は、彼女たちの状態をよくすることには役立たなかった。彼女たちには、業火の中に入り、他の人々と共にその中に入るよう言われた」
その後、信仰を持つ2人の女性を例に挙げています。一人目は、フィルアウンの妻です。フィルアウンは、自分は神だと公然と叫ぶほどの不信心者でした。その妻であるアースィーヤは、預言者ムーサーが魔術師の前で示した奇跡を目にしたとき、心の底に信仰の光をともし、その瞬間から、ムーサーに信仰を寄せました。
フィルアウンの妻は、宮廷の生活により、現世の満足を得ると共に、ほしいもののすべてを手に入れていました。それでもなお、現世でのはかない満足の全てに目を瞑り、神の満足を得、神に近づくことを選びました。アースィーヤは、常に信仰心を隠していました。フィルアウンはアースィーヤの信仰を知ったとき、何度もそれをやめさせようとしましたが、アースィーヤがフィルアウンの要求に屈することはありませんでした。こうしてとうとう、フィルアウンは、アースィーヤの手足を縛ってありつけにし、灼熱の太陽の下で、その胸の上に大きな石を置くよう命じました。アッ・タフリーム章の第11節によれば、この信仰のある女性は、死を目の前にしたとき、このように祈ったということです。
「神よ、私のために、天国であなたの近くに住処を建ててください。私をフィルアウンとその行為から救ってください。私をこの圧制的な民から救ってください」
神も、この献身的で敬虔な女性の祈りを聞き入れ、彼女を天国に導きました。夫であるフィルアウンの権力や不信心も、彼女の信仰心を捨てさせることはできず、アースィーヤは、世界の最も優れた女性たちと共に、天国に入りました。イスラムの預言者ムハンマドは、次のように語っています。エ「天国で最も優れた女性は4人いる。預言者ムハンマドの妻のハディージャ、預言者の娘のファーティマ、イムラーンの娘のマルヤム、フィルアウンの妻のアースィーヤである」
マルヤムは、アッ・タフリーム章が、信仰のある女性の模範として挙げている2人目の女性であり、この章の第12節には、次のようにあります。
「また神は、貞節を守ったイムラーンの娘、マルヤムを例に挙げた。我々はそこに自らの魂を吹き込んだ」
彼女は神の命により、夫を持つことなく、神の預言者となった息子を産みました。
マルヤムは、高いレベルの信仰を持ち、すべての啓典の書と神の命を守り、行動の点でも、常に、神の命に絶対的に従っていました。コーランは、彼女の貞節さを賞賛し、さまざまな節の中で、この信仰のある高い地位の女性の人格について語っています。その中でも重要な部分は、彼女の名前がつけられた章にあるものです。コーランは、このような表現により、彼女の清らかさに疑問を呈したユダヤ教徒たちの誹謗中傷から、彼女を守りました。