コーラン第68章アル・ガラム章筆(1)
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コーラン第68章アル・ガラム章筆、第一節
今回からは、コーラン第68章アル・ガラム章筆を見ていくことにいたしましょう。
慈悲深く、慈愛あまねき、神の御名において
アル・ガラム章は、イスラムの預言者が使命を授かった当初にメッカで下され、全部で52節あります。アル・ガラム章では主に、イスラムの預言者ムハンマドの使命と、敵との闘争について述べられています。
アル・ガラム章で述べられている内容は、筆と書物の偉大さ、神の預言者の特徴、不信心者のしるしと、彼らの非難されるべき性質、庭園の所有者、最後の審判と不信心者の責め苦、多神教徒への忠告と警告、預言者への忍耐の呼びかけ、コーランの偉大さと敵の陰謀といった事柄です。
この章がガラムと名づけられたのは、この章の最初の節が、ガラム、筆に誓いを立てているためです。この章を「ヌーン」、あるいは、「ヌーン・ヴァル・アルガラム」章とする人もいます。
「ヌーン。筆に誓って、また、書いたものに誓って」

アル・ガラム章は、アラビア語のアルファベットのヌーンで始まる、コーランで唯一の章です。その後、人間の生活において最も重要な2つの問題に誓いを立てています。この誓いの対象は、“筆”という、一見するとささいなものですが、実際は、人類の全ての文明、科学の進歩、思想の目覚め、宗教の誕生、人類の導きの源です。これによって、人類の歴史は、先史時代とそれ以降に分けられるようになりました。
人類の歴史が始まるのは、文字が発明され、人間が、さまざまな出来事を記録できるようになったときです。この章の誓いの偉大さが明らかになるのは、この節が下されたとき、当時はそれを記録する人がおらず、アラビア半島の政治、経済、宗教の中心地であったメッカ全体でも、読み書きができる人間が20人もいなかった、ということに注目したときでしょう。そのような環境の中で、筆に誓いが立てられるというのは、特別な意味合いを持っています。
これに続く節は、この誓いが、多神教徒から、「狂った人」と呼ばれていた、イスラムの預言者ムハンマドを擁護するためのものだということを示しています。アル・ガラム章は、預言者ムハンマドが導きを明らかにし、周囲の人たちが彼の使命について知るようになった中で下されました。そのため、多神教徒たちは、この導きを抑えつけようとし、預言者に対して多くの誹謗中傷を浴びせました。中でも最も明らかだったのが、「彼は狂っている」という中傷でした。
神はこの誓いの中で次のように強調しています。「預言者よ、汝は狂ってなどおらず、それどころか、類まれなる、優れた性質を持っている。汝は愛情に溢れ、心が優しく、忍耐強い。人々を神への服従にいざなっている中で、汝は誰よりも、神への崇拝行為と服従の義務を実践している。他の人たちを悪い行いから遠ざけたければ、汝は誰よりも先にそれを実践する。反対者たちは汝に嫌がらせをしても、汝は彼らに忠告する。彼らが誹謗中傷を浴びせても、汝は彼らのために祈る。彼らが汝に石を投げつけ、灰をかけても、汝は彼らの導きのために神に祈る」
預言者はこのように言ったとされています。「私は美徳を完成させるために預言者として遣わされた」
アル・ガラム章の第5節と6節には次のようにあります。
「まもなく、汝は見るであろう。彼らもまた見るであろう。あなた方のうち誰が狂っているのかを」
神の預言者であるムハンマドの正確な立場や行動、それによるイスラムの急速な発展や浸透は、預言者が洞察力と理性の偉大な源であること、狂っているのは、預言者に反対する人々だということを示すことになります。
アル・ガラム章の一部は、真理を否定し、預言者に反対する人々の好ましくない性質を述べ、預言者に対し、彼らの道に従ってはならないとしています。第10節から13節を見てみましょう。
「誓いを多く立てても卑しい人間に従ってはならない。いつもあらを探し、人々の秘密を他人に告げ知らせる者、また善い行いを妨げ、罪に走る侵略者、さらに、悪名が高く、憎しみを抱き、粗野で乱暴な者」
このように、コーランは、イスラムとコーラン、そしてイスラムの預言者ムハンマドに反対する人々は、卑しく、嘘つきで、あら捜しをし、誹謗中傷を浴びせ、反抗的で憎しみを抱き、罪を犯す人々だとしています。このような人が、偉大な善良者に反対するのは当然でしょう。彼らは、コーランの節が読まれたとき、このように言っていました。「それらは、先人たちの迷信的な伝説である」
次回も、引き続き、アルガラム章についてお話しする予定です。