映画、「大統領の執事の涙」 2
この時間も前回に引き続き、2013年のハリウッド映画、「大統領の執事の涙」についてお話ししましょう。
前回の番組でお話ししたように、セシルにはルイスとチャーリーという2人の息子がいます。ルイスは大学の友人とともに、人種差別に反対する運動に参加します。
80分から始まるシーンでは、ルイスが大学の友人であるキャロルとともに父親の家にやって来ます。そして、父のセシル、母のグロリア、弟のチャーリーとともに夕食の席につきます。そこで、父と息子の言い争いへと発展します。
母のグロリアは、ルイスに向かって、キャロルとはどのくらい付き合っているのかと尋ねます。ルイスは5年だと言います。するとキャロルは、自分たちはただの友達だと言います。グロリアは、他の大学の友人たちも政治活動に参加しているのかと尋ねます。ルイスは、2つのグループができていると言います。そこでキャロルがゲップをし、セシルとグロリアはそれに不快感を覚えます。キャロルは、何度も逮捕されていることに疲れたと言います。ルイスは、キング牧師の哲学も、とうとう死者を出したと言います。そのとき、ルイスの両親の驚く表情がクローズアップされます。ルイスは、始めはよかったのだが、今は次のステップを踏む時であり、それは政治だと言います。
弟のチャーリーは、ルイスに、肌の色が明らかになれば、ホワイトハウスには入れないと言います。ルイスは、自分はもっと根本的な運動をしており、自分たちの政治グループを結成したのだと言います。チャーリーはキャロルに、あなたの政治グループは左派か、そのグループのことは気に入っているか、その名前は何かと尋ねます。キャロルは、ブラックパンサーだと言います。セシルはその名前に反応し、その意味を尋ねます。キャロルは、自分たちが無料の食事を子供たちに用意していること、無料の医療サービス、衣服、自己防衛のための講座などを提供していることを話します。グロリアが、なぜ自己防衛が必要なのかと尋ねると、ルイスは、殴られないためだと言います。グロリアは、セシルと一緒に数日前に素晴らしい映画を観たと話し、その映画でルイスのことを考えていたと言います。ルイスは本当かと尋ねます。グロリアはセシルにその映画の名前を尋ねます。セシルがタイトルを教えると、グロリアは、黒人俳優のシドニー・ポワチエが出演していた映画だったと言って、自分はこの俳優が大好きだと言います。ルイスがそれを揶揄すると、セシルは、彼は映画の中では権利の平等のために戦っていると言います。ルイスは、それに反論し、セシルと議論になります。セシルは、ポワチエはアカデミー賞を受賞し、黒人のための障害を取り除こうとしていると言います。ルイスは、彼は白人のようにふるまっているだけだと反論します。ここで、グロリアが不安な様子でセシルを見つめます。
セシルは激昂し、ルイスに向かって、ずいぶん高慢になったと言い、ルイスの友人のキャロルの態度を批判した後、大学にもろくに通っていないことについて指摘し、勘当を言い渡します。そこでグロリアが2人の間に割って入り、セシルに一体どうしたのだと言います。セシルは、これ以上自分は耐えられないと言います。グロリアは、せっかくしばらくぶりに会ったのだからとなだめますが、そこでルイスは馬鹿にしたように、「大統領の執事様、あなたが英雄であることを馬鹿にするつもりはありませんでした」と口にします。するとグロリアが、ルイスの頬をたたき、あなたが今あるのは、その大統領の執事のおかげだと言います。そして、今度はグロリアが、ルイスに出ていけと言います。
ルイスとキャロルが家を出ていきます。ルイスは父親としばらくの間、連絡を取ろうとせず、父とは反対に、厳しい方法で闘争を続けます。とはいえ、彼は母親とは連絡を取っており、母から金をもらいます。セシルは、およそ20年後にようやく、ルイスの運動に加わります。その頃には、ルイスの高慢な心も消えています。
このシーンは、黒人の権利回復を暴力的にとらえる若い世代とは異なり、昔の世代は、黒人と白人の権利の平等には段階的に時間をかける必要があると考えていることを示しています。この差別の撤廃では、メディア、特にハリウッドが重要な役割を果たしており、シドニーポワチエのような黒人俳優は、虐げられた黒人の声を反映することができます。
アメリカでは、黒人の平等を求める運動が長い歴史を有しており、それぞれの時代に、状況に合わせてさまざまな人々が、この少数派の平等を求める権利を阻んできました。1960年代には、黒人の若者たちが街頭で抗議運動を行い、組織を結成します。その下地は、大統領の執事、キング牧師、シドニーポワチエたちが整えたのでした。
次にご紹介するのは、セシルが退職した後、2008年にオバマ氏がアメリカ大統領選挙に立候補するシーンです。
115分から始まるシーンで、セシルはグロリア、ルイスとともにオバマ大統領の選挙活動の場所に赴きます。セシルとグロリアはずいぶん年を取りました。そこは熱気にあふれていて、多くの黒人がアメリカの国旗とオバマ大統領の写真を掲げています。
セシルは興奮しています。こんな日が来るとは思いもしませんでした。黒人が大統領選挙で当選するかもしれないなんて。セシルは階段の上に座っているグロリアに近づき、一緒にトウモロコシを食べます。二人とも、アメリカの国旗とオバマ大統領の名前の入った黒い服を着ています。ルイスがやって来ます。そして最終的に、オバマ氏が大統領選挙で勝利し、セシルがオバマ大統領に会うためにホワイトハウスに行くところで、映画が終わります。
このシーンで、カメラはさまざまなアングルから、アメリカの国旗とオバマ大統領の写真、黒人や白人の喜んでいる姿を捉えています。これにより、黒人の大統領選挙への立候補を強調しています。
セシルの興奮した様子は、黒人がアメリカ大統領になるかもしれないことが、信じられない出来事であることを示しています。これは、彼が人生の中で、黒人が虐げられた生活を送っているのを目にしてきたことによります。2008年に黒人が大統領になろうとしたのは、黒人が長年にわたって、社会的、政治的な権利を得るために闘ってきた苦い歴史を支えにしたものです。セシル、グロリア、そして彼の息子と孫がこのシーンに出てくるのは、黒人の闘争の長い歴史を示しています。
概して、大統領の執事の涙は、歴史に対して公平な見方を持っており、黒人の苦しみを描き、彼らがどのようにして、闘争により、差別を撤廃してきたのかを物語っています。興味深いのは、この映画の中で、悪辣な白人とともに、ケネディ大統領のような善良な白人も描かれていることです。
大統領の執事の涙では、個人と社会の面で、黒人の性質や特徴に変化が見られます。個人の面では、黒人の多くが、論理的で礼儀正しく、勇敢で誠実だということです。社会的な面でも、議員のような重要な職についています。この映画は、黒人が社会を混乱させようとしているのではないこと、自分たちの権利を回復しようとしていること、そして彼らの抗議は、白人の理不尽な要求に対する彼らの論理的な反応であることを描いています。