6月 18, 2018 22:54 Asia/Tokyo
  • コーラン第79章アン・ナーズィアート章
    コーラン第79章アン・ナーズィアート章

今回は、コーラン第79章アン・ナーズィアート章を見ていくことにいたしましょう。

慈悲深く、慈愛あまねき、神の御名において

 

アン・ナーズィアート章はメッカで下され、全部で46節あります。

 

この章では主に、復活の問題について述べられています。この偉大な日が実現する事に関するはっきりとした誓い、復活の日の恐ろしい光景、預言者ムーサーの物語とフィルアウンの運命、天と地における神の力のしるし、神に背いた人々の運命と善を行った人々の報奨、といった事柄が、この章で提起されている問題です。

 

アン・ナーズィアート章は、深い意味をもつ誓いの言葉を繰り返すことで始まっています。コーランの誓いは、この天啓の書の奇跡の一部であり、もっとも美しく輝かしい部分と見なされています。この章にある誓いの内容は、特別な流麗さにより、復活という重要な問題を提起しています。

 

アン・ナーズィアート章の最初の節は、ナーズィアートに誓いを立てています。この章の名前も、この第1節に由来します。ナーズィアートとは天使たちのことであり、神は、世界の運営における仲介者である彼らに誓いを立て、彼らの役割の重要性を指摘しています。天使たちは光でできていて、大小のグループに分かれています。それぞれのグループは特別な役割を持っています。あるグループは、私たちの行いを記録、証明し、また別のグループは、神の啓示を伝える役目を担っています。また別のグループは、人間や動物に日々の糧を届け、また別のグループは、人々の魂を抜き取ります。アン・ナーズィアート章の第1節から5節までを見てみましょう。

 

「罪を犯した人の魂を、彼らの身体から奪い取る天使たちに誓って。また、[敬虔な人々の魂を]優しく切り離す天使たちに誓って。また、[神の命を実行しようと]急いで動く天使たちに誓って。その後、彼らは互いに競争する。また、すべての物事を処理する天使たちに誓って」

 

復活を信じることは、全ての啓示宗教における信条の基盤のひとつです。聖典コーランは、この重要な原則を特に強調しており、1400近い節の中で、最後の審判について語っています。復活はにはいくつかのしるしがあり、ラッパの音はそのひとつです。ラッパが吹かれることは、コーランで現世の終わりと来世の始まりとされている出来事、偉大な変化が起こることの合図です。ナーズィアート章の節は、罪を犯した人々の、自分の行いの清算を恐れる不安な心について語っています。この不安は非常に激しいものであり、その影響は、罪を犯した人の全身に現れます。彼らの目は恐怖で下に向けられ、動きが停止し、一点をじっと見つめたままになります。それはまるで、恐怖のあまり、視力を失ったかのようです。

 

アン・ナーズィアート章の第15節から26節は、歴史的な神の反抗者のひとりであるフィルアウンと彼の痛ましい運命について触れ、アラブの多神教徒たちに、彼らよりも力のある人間でさえ、神の責め苦と怒りの前には何の抵抗もできなかったことと教えるとともに、敬虔な人々には、敵の表面的な力の優位性を恐れる必要はないと安心させています。なぜなら、神にとって、敵を打ち倒すことは非常に簡単なことであるからです。フィルアウンは権力を追い求めるあまり、自分は最も優れた崇拝の対象だと主張しました。しかし神は、このような高慢な圧制者に対し、現世でも、そして来世でも、痛ましい責め苦を下しました。コーランは、この物語を、神を畏れる人々への教訓となるように述べると強調しています。

 

大地は、人間やすべての生き物の生活の基盤であり、山や海、谷や森林、泉や河川、天然資源は皆、創造主である神のしるしです。アン・ナーズィアート章の第30節には次のようにあります。「その後、大地を広げた」

 

大地を広げた、というのは、初めに、大地の表面すべてを大量の水が覆いつくしていたことを指しています。この水は、次第にくぼみへと入っていき、水の下から陸が現れ、少しずつ、広がっていきました。一方で、大地は当初、山や谷間、傾斜があり、人間が生活することは不可能でした。後に、大量の雨が降り続き、高地が減り、谷が広がっていきました。こうして次第に、人間が生活したり、農耕を行ったりするための平地が現れます。これらすべてを指して、「大地を広げた」とされています。しかし、大きな嵐や地中のエネルギー放出による地面のゆれなど、さまざまな要素により、その安定が崩される可能性があるため、神は、大地に連なる山々によって大地を強固なものにしました。この節は最後に、次のように語っています。「これらすべては、あなた方と四足の動物が利用するためのものである」

 

アン・ナーズィアート章の終盤では、預言者に次のように語っています。

 

「汝の忠告は、最後の審判を畏れる人だけに影響を及ぼすのであって、最後の審判を畏れない人は、コーランの節をすべて呼んだとしても、何の意味もなく、警告にはならない」