ことわざ:「私のための水はないが、あなたのためには収入がある」
その昔、イランの人々は飲料水や農業用水を、灌漑水路から手に入れていました。
その昔、イランの人々は飲料水や農業用水を、灌漑水路から手に入れていました。
そして、人々に水を届けるために井戸を掘ったり、水路を作ったりすることが、善行のひとつに数えられていました。ある日、ひとりの善良な男が、人々に水を届けるために、何本かの井戸を掘って、水路を作ることを決意しました。男は一人の熟練した井戸掘りを雇って、場所を指定し、その一帯を掘るよう指示しました。井戸掘りは、何人かの人夫を集め、水路作りに精を出しました。
数日が過ぎ、数週間が経ち、井戸掘りは続けられました。しかし、水は一向に湧き出す気配がありません。毎日夕方になると、善良な男は、井戸掘りたちの様子を見にやって来ては、彼らにその日の賃金を払って「水は出てきたか?」と尋ねていました。
井戸掘りの一行は、その度に「もうすぐ水にたどり着きますよ」と、期待を持たせるような答えを返していました。しかし、時が経つにつれ、彼らの希望も失望へと変わっていきました。彼らが掘っていた穴はどれ一つ、水脈に届いていませんでした。
深く井戸を掘ったにもかかわらず、どの穴からも地下水は湧き出てきませんでした。井戸掘りたちは、少しずつ文句を言い始め、善良な男が選んだ土地が悪かったのだと主張しました。善良な男は、早く見切りをつけてしまえば良かったのに、そうはしませんでした。毎晩、井戸掘りと人夫たちに賃金を支払った後、こう言って励ましていたのです。
「神に頼って、作業を続けてください。きっと水は出てきます」
井戸を掘る作業は続けられました。そうしたある日、とうとう井戸掘りは善良な男にこう言いました。
「これらの穴が水に達するとは思いません。私たちは冷たい鉄を叩いて、時間を無駄にしています。あなたも無駄に金を費やしています。これ以上損をする前に、もうやめた方がいい。水路を掘るのにもっと適した場所を選ぶべきです」
善良な男は答えました。
「ここはいい場所なのだ。近くには多くの村があって、人々が水を必要としている。作業を続けよう。神の恩寵に希望を託そうではないか」
井戸掘りの男は言いました。
「私はこれまで10本もの水路を作ってきました。どれもこれほど苦労せずに水を掘り当てました。私にはもう、作業を続ける気力が残っていません」。
善良な男は諭すように言いました。
「水に達するのが遅ければ遅いほど良いのだ。地下深くにある水を掘り当てれば、より質の良い水が人々に届けられる。希望を失わず、作業を続けようじゃないか」
井戸掘りは繰り返しました。
「私は井戸掘りです。この丘の上の穴が、水に達しないことを知っています。どうか作業を終わりにして帰らせてください。私はもう疲れました」
善良な男は言いました。
「何ということだ!毎日金を払って、何の成果も上がらない。疲れて希望を失うのは、あなたではなくて、私の方だ!井戸が水に達しようと達しまいと、あなた方は作業を続けて報酬を得ているではないか?それなのになぜ文句ばかり言うのだ?さあ、堪忍して仕事を続けるんだ。もうこれ以上、希望を失うような言葉を口にしないように」
善良な男の言うことは本当でした。どちらにしても、彼らが損をすることはなく、毎日、賃金を得ていたのですから。彼らは再び、井戸掘りの作業に戻りました。こうして穴を掘り続けたある日、ついに水が湧き出したのです。彼らが掘り当てたのは豊かな澄み切った甘い水でした。
そのときから、ためになることをする時に言い訳を並べる人に対し、「なぜそうしないのか?」という意味を込めて、このように言うようになりました。
「私のための水はないが、あなたのためには収入がある」