イラン・イスラム家族社会論(1)
今回から、新番組「イラン・イスラム家族社会論」をお届けいたします。
この番組では、イスラム的な家族の素晴らしさと、イラン人の家庭の特徴についてお話してまいります。
今、神の思し召しによる最高の瞬間が訪れています。現世でそれぞれの道を歩んでいた2人の若者が、互いに手を携えて、崇高なる目的に向けて共通の道を歩もうとしています。これは、実に奥深く重要な約束なのです。人間は本質的、本能的にパートナーや相手を必要とし、変動の激しい人間の精神状態は、配偶者を求めています。その相手なくしては、人間は精神的に落ち着かず、何かが足りないと感じます。神は、いずれの人であれ、その人が相手なしでいることを好みません。また、イスラムの預言者も、結婚を自らの慣行、そして神の満足を取り付けることとみなすとともに、結婚により宗教的な掟の半分が守られると考えています。
ある若者のカップルが、自らの見識に基づいて、この結婚契約の受諾の有無に関する質問に対し、これに「イエス」と答えようとしています。このとき、婚姻を取り結ぶ公証人が婚姻契約に関する一連の文章を読み上げます。
「人生は、紆余曲折や山坂の多い長丁場の旅路のようなものだが、同時に高潔な目的をも有している。人生における人間の目的は、自分や周りの人々の存在を、自分の精神や内面の成長や進歩のために活用することである。それは、人間はそもそもこの目的を達成するためにこの世に生まれてきたからである。私たちは、自分ひとりでは何もできない状態でこの世に足を踏み入れ、生まれてから次第に知性や知能が発達し、自ら判断し選び取る力を身につけていく。そして、まさにこの瞬間において人間は正しく考え、識別して選択し、この選択に基づいて行動し、前に進まなければならない。結婚は、崇高なる神が、人間が行うべき慣習として定めたものであり、創造という行為が必要とするものである。また、これは神の恩恵かつ、神がもたらす神秘であり、人間生活にとって回避できない事柄の1つである。言うまでもなく、神は、その聖なる掟の中で、結婚を確実な義務として定め、すべての人々にいずれかの人との結婚を要求しているはずである。しかし、一方で神は自らの哲学に基づき、結婚を1つの重要な選択、そして価値観であるとしている。このことから、結婚しない人は、自分からこの価値観を剥奪したことになる」
若い男女が互いを見つめあう中、婚姻契約を取り交わす前段階の文言が続きます。
「崇高なる神は、男女がそれぞれ1人でいることを好まれず、彼らが結婚して共同生活を営むことを望んでおられる。男性であれ女性であれ、一生涯を独身で過ごす人間は、外見上は人間であっても、実際にはこの世における異分子のような存在に等しい。イスラムは、人間個々人ではなく、家族が社会の真の形成要素となることを望んでおられる」
ここで、その場に集まっていた人々の喜びの声が飛び交い、拍手喝采が鳴り響き、公証人が婚姻の契りを交わす宣誓文を朗読します。
現代の世界は、いわゆる地球村となり、人類は1つの家族のように、いつでもどこでも容易に連絡を取り合える情報コミュニケーションの時代を生きています。まさに、現代は情報爆発の時代ではあります。しかし、一方では依然として、人間が本質的に必要とする旧来からの価値観や概念、組織が存在しています。そのもっとも重要な組織の1つが、まさに家族なのです。
家族は、社会を形成する基盤であり、人類の存続に欠かせない次世代を担う子供の育成もさることながら、経済的な生産活動や文化の受容といった様々な責務をも担っています。また、社会的な慣習の伝承という重要な役割をも果たしています。1人1人の置かれる立場は、ある程度はその人が属する家族の社会的な状況に基づいて形成されます。
イラン人家庭の全体像に視点を投じると、彼らが常にイラン社会の変貌においてある種の傾向を生み出す、基本的な組織としての様相を示し、独自のルートにそってイランにおける家族・集団生活を形成してきた事がわかります。このため、現代の大半の人間社会で、家族やそのメンバーに対して起こっている出来事とは対照的に、イランでは家族や家庭を度外視したスローガンを耳にする事はなく、逆に多くの場合において家庭への回帰が叫ばれています。
テヘラン大学で教鞭をとるハミードレザー・ジャラーイープール博士は、テヘラン州内の300もの家族に関する調査研究を行った結果、イラン人家庭が崩壊していないどころか、イランで最もしっかりした社会組織であるとし、さらにこれが伝統的なスタイルから離れてさらに発展し、市民社会化した家族へと近づきつつある、という結論に達しました。
一般的に、家庭や家族という組織は現在の状況に至る前に様々な段階を経てきています。形成されて間もない時期の家族は規模も小さく、その機能も限られており、テヘラン大学で社会学の教鞭をとるタギー・アーザーダールマキー博士によれば、この段階の家族は、その存続における原点のようなものとされています。それは、成立当初の家族は2人の夫婦しかおらず、責務や機能の範囲が比較的小さいものの、それが社会に存続して周りの人々や環境との交流により、時間の経過とともに拡大するにつれて、家庭の責務や機能も拡大していくからです。
研究者の間では、家族は社会の最も基本的な単位とされ、宗教や政治、経済といったそれ以外の社会的な概念は家族の存在の延長線上において形成、発展すると考えられています。社会生活の範囲が拡大することで、親子やその親戚などが存在する家族は経済、社会、政治的な活動の中心となり、家族を中心とした人々のすべての要求が系統立てられ、その結果拡大家族が出現します。
大人数でにぎやかなイラン人家庭のイメージは、まさに拡大家族であり、今なお多くのイラン人の意識に残っています。こうした家族は、子供たちの結婚により新しい家族を増やし、なおも父親のいる実家で、贅沢やストレスなどとは無縁の状態で、互いに寄り添って生活してきたのです。
多機能を有する拡大家族においては、夫婦と子供に加えて、おじやおば、祖父母や孫といったメンバーも、1つの住環境に暮らしていました。この種の形態の家族は、社会的なコミュニケーションの中心であったとともに、経済・政治的な活動の場所でもありました。家族を中心とした仕事場が形成され、家族の基盤は血縁関係および姻戚関係により成立していたのです。
拡大家族においては、両親が家庭の重しとなる中心を形成します。彼らの息子たちや孫、嫁が親に従い、親が高齢となって家族の保護監督の責務を履行できない場合には、長男がその代役を務めます。娘たちは、結婚して実家を離れ、子供たちは家業を継ぐのが普通です。イランの一部の地域をはじめとする世界各地に見られるこうした形態の家族をさす例として、「マシュハディー・ガーセム式の家族」というものがあります。
マシュハディー・ガーセムとは、ある男性の名前です。この男性は、これまで60年以上にわたり、イラン中部にある、アラークという都市の近郊の村に暮らしています。現在75歳になる彼には、7人の子供がおり、2人の娘は嫁いで実家を出ました。マシュハディー・ガーセムは、息子たちやその妻らと一緒に大きな庭付きの一軒家で暮らしています。何か重要な事柄を決定する際には、同居しているメンバーが集まり、一緒に考えて最終的に決定し、それを実行します。一家の嫁たちは、家庭経済や生活、労働において男性を助けますが、家庭内の雑事は祖母を中心に、おばをはじめとする女性たちが担っています。もっとも、祖父の家の一部は結婚した子供たちのスペースに当てられています。この大家族のメンバーは、一緒に暮らしている一方で、きちんと自立しています。彼らは、大家族全体としての威信を守ると同時に、自らの相対的な個人生活や子供のしつけについては、それぞれ独自の行動をとっています。
拡大家族の後の段階では、核家族が形成されます。イラン人の核家族については、次回に詳しくお伝えしますが、ここでは共同生活における人間関係の重要なポイントについてお話したいと思います。
喜びにあふれた夫婦とは、互いを十分に理解している人々だといえます。そうした夫婦の関係においては、自分ばかりを主張する傲慢さはなく、良好な関係が彼らに共同生活の継続に必要な意欲やエネルギー、喜びを与えています。
ここで注目すべき事は、結婚によりパートナーとの共同生活に入る前に、相手にも友人や家族が存在していたということです。確かに、結婚後は自分がパートナーにとってもっとも優先すべき存在となりますが、それは自分以外の人々をないがしろにすることではありません。これまでに、自分の仕事や生活にかかわってきた家族や友人を放り出すことはできないはずです。ここで大切なことは、ほかの人々をも尊重し、彼らのプライベートな領域を侵害しないことです。この方法によって、些細な事で議論するのではなく、互いの興味関心を尊重した上で現在の人間関係の醍醐味を味わう事ができるのです。
ある偉人は、次のように述べています。
「善や美を謳うなら、荒野に一人でいたとしても、耳を傾けてくれる人が出てくるはずである。これゆえ、優しさから手を差し伸べられたなら、遠慮なく受けるがよい。時には、そうして差し伸べられた手があなたにとって一生涯にわたり、温もりのある存在になることがある」
次回もどうぞ、お楽しみに。